朝起きたらなんにもする気がしなかった。
このままではズルズルと一日を過ごしそうだったので用をつけて外へと出た。「TOKYO」シリーズも撮り足さなくてはならない。
ペンタックス645Nにプロビアをつめて、とりあえず地下鉄大江戸線に乗る。都庁前で下車し、展望台へ登ってみることにした。
展望台からの眺めは、晴れてはいたがガスがかかってすっきりしない。気温が高いせいだ。もうしばらくしたら大好きな冬の陽射しはなくなってしまう。外の景色はガラスの反射がきつくて思うように撮れなかった。
新宿駅まで歩いてヨドバシで暗室用品を買う。イルフォードのウォームトーンの四つ切という一番使用頻度の高い印画紙が輸入中止となっていた。
せっかくトーンをつかんだのにショックだ。いいものから先になくなっていく気がしてならない。暗室用品自体、存続があやしい。
南口から東口に抜ける道を撮り歩く。ピンク映画館や、パチンコの看板、ラッキーカメラに群がるおじさん。
そのまま恵比寿の編集部に行くために電車に乗ろうとしたがコニカミノルタギャラリーの看板が目に入った。
神山洋一「東京生活」というタイトルに魅かれ4階へと上がった。神山氏の名前は聞いたことがあるがどんな人かは知らない。
正統派モノクロスナップで東京を撮っていた。始めはよくあるスタイルだな、などと思って見ていたが次第にその世界に入ってしまった。一瞬のすれ違いを20ミリと思われるレンズで切り取っていく。
都市生活の悲しさが写真の表面には出ているが、見ているとなんとも写っている人々がいとおしくなる。一生懸命生きているんだなあ、という気がする。写っている人の人生を考えたりしてしまう。ボリュームのある点数だったがまったく飽きることはなかった。東京をスナップで綴ったものとしては最高レベルにある。
最後に作者の挨拶文があった。フジテレビ写真室に勤務し、仕事のかたわら東京を撮りつづけていたとある。「いた」というのは昨年享年54歳で亡くなっていたのだ。
奥さんが生前の写真をまとめて今回の展示と写真集の出版になった。神山さんは入院生活の間もカメラを手離さず、混濁した意識の中で「写真が撮りたい」と書き残したという。
思わず自分のことを考えた。なんだか同じことをやりそうだ。彼の最後の写真集「東京生活―TOKYO HUMAN SCAPE STREET PHOTOGRAPHY 1992〜2002−」(日本カメラ社)を買って帰る。