ドキュメンタリーとモノクロ

朝 ホットサンド、野菜スープ

夜 餃子、焦がし醤油ラーメン、キュウリとオクラと茗荷の即席漬け、レタスとシシトウとそぼろの中華炒め

いきなり寒くなった。ついこの間まで半袖だったのに。物置からストーブ類を引っ張り出す。石油ストーブと電気ストーブがふたつづつ。その他に石油ファンヒーターやオイルヒーターもある。計7個。寒いのは嫌いだけど石油ストーブの上でつくる煮物の季節到来。これは好きだ(笑)。

今日もルデコ相談がふたり。70歳と20歳の相談に60歳が答える。Apple Podcast に藤原新也「写真のリアル、モノクロ写真と芸術と絵画、マグナムフォト」という会があると教えてもらったので聞いてみた。映画「MINAMATA」をどうのように藤原新也が観たかったというお題なのだが、そこから「なぜマグナムの写真家はモノクロでドキュメンタリーを撮るのか」ということに話しは進む。ありのままを撮るのには、カラーのほうが圧倒的に情報量が多いはずなのに、あえてモノクロで現場を撮っていることに対しての違和感を語っていた。ユージン・スミスが活動していた1970年までは、印刷メディアの多くはモノクロ印刷だったし「伝送」と呼ばれる、写真を信号化して送る装置もモノクロだけだった。

1984年のロサンゼルスオリンピックの時に僕は新聞社に勤めていて、APとかUPIといった海外通信社が送ってくる「カラー写真」はY版M版C版のモノクロ画像3枚で受け取っていた。日本の新聞が一部カラー化したのも1980年代中盤。何かを伝えるには、モノクロの方が適していた時期が意外と最近まであった。しかし1990年代になってもサルガドはモノクロだけで撮影していた。そこにはどういった意図があったんだろう。

藤原新也の話はさらに続き、モノクロで写真を撮る理由について「写真は出発点においてモノクロだったということもあるが、モノクロにすることで絵画的にする意味合いがある」と言っている。そしてドキュメンタリーにおける「コンストラクティブ」な写真、つまり「写真を作る」ことについても言及している。藤原新也は「自分がドキュメンタリー写真を撮る場合は、カラーで、自然のままに撮る」と言っている。このPodcastは結構考えさせられるところがあって面白い。いいとか悪いとかじゃなくて、聞いた人の時代性が出てくる。同意する人もいるだろうし、反対意見を持つ人もいるだろう。そういう発言をするところが藤原新也っぽくて好きだ。

 

<2005年10月20日の日記から>

韓国カムジャタン、チヂミ、イカさし

データが飛んでしまってから1台のデジカメに頼るのは不安になってしまった。

で、とうとう今日「銀一」でEOS5Dを購入した。「Lレンズを一緒に買うと1ギガのCFカードが2枚ついてくる」というキャンペーンをやっていて24-105ズームが頭をちらついたが、店頭に在庫はなかった。口では残念そうなことを言ったが内心ほっとした。CFカードはとりあえずお店お勧めのサンディスク1ギガを購入。今日は使うつもりはなかったのだが、触っていたら気になって午後からの撮影で実践投入してみた。インターフェイスは20Dとまったく同じなのでとまどうことはない。645のネガがメインだが20Dと5Dを併用する。使ってみて分かるのは、5Dのピントの良さだ。20Dはちょくちょくピントが外れるが5Dはまったく外れない。モニターが大きくて確認もしやすい。買ってよかった、と自分を納得させる。事務所に戻りカードをパソコンに落とす。どきどきしながらファイルをあけると、よかったちゃんとデータが入っている。まだ色のことまでは分からないが感触としては十分いける手ごたえがあった。

D60、20D、5Dと3年間に3台。30万円、18万円、35万円だから付属品をふくめると90万円。その他にパソコン、スキャナー、プリンターで100万円。これで十分かと言うと、これからもどんどん新しくしなければならない。永遠に幸せになれそうにはない。