「歌よ導いて」

朝 ズッキーニとアボガドとタコの玄米パスタ

おやつ スイカ

夜 餃子、キュウリとワカメの和物、カボチャと豆の煮物、白米、豆腐のお汁、ビール


餃子とビールって、なんでこんなに美味しいんだろう? それと最近はカボチャも。


『竜とそばかすの姫』の劇中歌に「歌よ導いて」という歌詞がある。これは歌に限ったことではなくて、表現するということは自分の知らない世界へ連れていってもらえることなんだと思う。

表現というのは何も特殊能力じゃなくて、身体の動きそのもの。たとえば声を出したり触れ合ったりすることも、他者からみれば表現になる。つまり表現は他者と繋がるためのツールということだ。


片山真里という日本を代表するアーティストがいる。ベネチアビエンナーレの招待作家であり、2020年度の木村伊兵衛賞受賞者でもある。彼女の『TED』でのプレゼンテーションがアートのあり方のひとつを示しているのではないだろうか。


https://youtu.be/sESC5HKI4w4


片山さんは先天的に左手の指が2本しかなく、生まれつき不自由だった両足を9歳の時に切断しているため、それ以来義足を着用している。

プレゼンテーションの冒頭で、履いていた義足を外し、ハイヒール用の義足に取り替え、そして話し始める。


「誰かに何かを伝えたいとき、誰かと解り合いたいとき、あなたならどんな方法を採りますか?

言葉でしょうか? 身体と身体のぶつかり合いでしょうか?

残念ながら私は そういうコミュニケーションは全く信じられません。」


小学校時代の壮絶ないじめから、高校時代に義足に絵を描くことで世界が広がっていく。彼女は義足に絵を描くことで他者との関わり合いを持った。

「義足が私を遠くに連れていってくれた」という言葉が先程あげた「歌よ導いて」と結びつく。そして『TED』の最後では片山さんも歌を歌う。

歌は歌詞が分からなくても通じる。言葉の役割をやすやすと超えていく。写真もそうなんじゃないかと。


「還暦だし」とちょっと逃げ腰になっていたけど、もう一度「写真よ導いて」という気になってきた。