「チプタプ」は「ヒンナ、ヒンナ」

朝 鯵の「チプタプ」の玄米パスタ

夜 鯵の南蛮漬け、レンコンとカボチャ、白米、キノコのお汁

釣れたての鯵を頂いたので「チプタプ」してパスタにした。「ヒンナ、ヒンナ」。

「チプタプ」も「ヒンナ」も   『ゴールデンカムイ』に出てくる言葉なんだけど、これをわかるように言えば「鯵のタタキを作ったら美味しかった」ということ。

鳥原さんのインタビュー動画を編集していると、上質の講演会をやってもらっているようで、まったく苦にならない。問題はどうやって短くするか。なんとか90分を60分まで編集したが、もう削るところはない。前後に分けて30分で2本の動画が出来そうだ。日本の写真事情は歴史的にかなり変わっていて、ジャーナリズムの写真が先行し、そこから1968年にニコンサロンが生まれることで、ジャーナリズムに組み込まれない写真の受け口となった。同時に書店の再版制度によって、多くの決して売れ筋ではない写真集も数多く流通させることができた。そのせいで70年代の写真は海外から注目されることになる。ガラパゴス化が生んだ良い面だと言える。2000年を境に紙媒体の凋落が始まり、2010年にそれが決定的になると、紙媒体に評価を求めていた写真家が美術館にその評価の矛先を変えてくる。鳥原さんもインタビューの中で、これからはアカデミックな機関の重要性がより高まり、美術館の展示図録によって、写真家の話が残っていくだろうと言っている。写真作家の個性や著作性のようなものは近代ロマン主義の延長でしかなく、それらはいま崩れている最中にある。これからは明らかな一つの方向性というのはなくなり、すべての方法論が並列に語られるようになる。ただし、それを語る場所がどこかという問題については未だにわからない状態。それが現在の写真の現状のようだ。この話は今週中に第一弾を配信します。

<2013年11月20日の日記から>

45期は土曜日の午後1名のみ空きがあります。ただし受講時の土曜日午前、日曜日への振り替えは自由です

ノスタルジーについて松岡正剛が書いているのを教えてもらった。
http://1000ya.isis.ne.jp/0482.html

“したがってノスタルジアは過ぎ去ったものへの追憶ではなく、追憶することが過ぎ去ることであり、失った故郷を取り戻したい感情なのではなくて、取り戻したい故郷が失われたことをめぐる感情なのである。”

ただ、サンタフェで僕に「ノーモアノスタルジー!」と叫んだレビュワーは「後ろ向きの写真(以前見たことのある)じゃなくて前向きな(新しい何か)写真で表現しろと言いたかったわけで、郷愁の是非ではないだろうが。取り戻したい故郷が失われたことを巡る感情かあ。うまいこと言うなあ。たしかに場所そのものへの感情ではないことは確かだ。そこへ帰りたいという欲求でもない。ホームがあれば、どこへ行っても戻れるという安心感。旅は戻ることを前提としているわけだから、そのものがノスタルジーを含むことになる。あの日以来ずっと引っかかっていたことがだんだんほどけてきた感じがする。