今年は母の初盆なのだが諸事情で帰れず東京にいる。
初盆に帰らないなんて親不孝もいいところだ。
早くに亡くなった父親はまったくの無神論者で神も仏も一切信じていないといつも言っていたが、墓参りや供養といった行事ごとはちゃんとしていた。家を守るという意識がそうさせていたのだろうし、昔の田舎には年中行事がたくさんあって、当主はそれを粛々と行わねばならなかった。
19歳で東京に出てきてしまった僕は、煩わしさから地元の親戚関係や行事ごとを避けていたら、さっぱり分からなくなってしまった。そうなると両親ともいなくなった今、もう米沢に帰ることはほとんどないだろう。いまだ東京人にはなれず、もはや帰る場所もなく、地に足が着いていない感じだ。
僕が死んだらお墓に入れないでくれと娘には言ってある。遺骨は粉にして35ミリフィルムのパッケージに入れて葬式の時に(なんなら葬式もしなくていい)縁のあった人たちに配ってもらう。押しつけられた人は、それをどこか旅行に行った先でまいて欲しいのだ。場所はどこでもかまわない。
10年前だったら自分が死ぬことなんて考えもしなかった。死ぬにはまだまだ早いが、それについて考える時期にはきているようだ。