「感度分の16」という露出決定の話を「旅するカメラ」に書いた。
それは絞りを16に設定して、シャッタースピードを感度(ISO)と同じ値に合わせると晴天時の露出にぴったりあうというものだ。
たとえばISO400のフィルムなら絞り16で400分の1秒という具合だ。感度が変わればシャッタースピードをその感度の値に設定すればいいから覚えやすい。
本が出てから英語では「Sunny 16」と呼ぶメソッドがあると教えてもらった。
でもまさかwikipedに載っているようなメジャーな考えかただったとは。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sunny_16_rule
「感度分の16」の考え方は、どこで聞いたか、何かで読んだかは覚えていない。まだネットなぞない頃から知っていたから、おそろく何かの雑誌で読んだのだろう。
新聞社時代はそれと似たようなことで「晴れたらセンパチ」と教えられた。
新聞社ではISO400のトライXを使っていた。その場合晴天なら1000分の1秒で絞り8ということになる。1000分の1秒というのが瞬間を大事にする報道ならではだ。
デジタル時代となっては意味をなさないようなメソッドだが、いまだにローライを使う場合には重宝している。
そのローライで撮った米沢と粟島のネガがあがってきたので早速プリントしてみる。エイトバイテンに20枚焼いて14枚が残った。それを今度は11×14インチに伸ばす。
イメージが撮影時と同じだ。やりたいことの一端は間違いなく出ている。これはもしかするといけるのではないだろうか。
久しぶりに「俺って天才」とプリントしていて思えた。
写真展ばかりではなんなので六本木ヒルズ森美術館で「ターナー賞」の歴代受賞作品展を見た。
ターナー賞とは、イギリスでもっとも権威があり注目される現代アートの賞で、審査の発表はゴールデンタイムにテレビで生中継されるそうだ。まるでアートのアカデミー賞だ。
妻と二人で行ったのだが、彼女は見ていて「わけがわからい。なんでこれがアートなの」と言う。まあ、たしかにその疑問は分からないでもないが。
現代アートは作家の考え方を、できるだけシンプルな手法で伝えようとしていると思えば納得できるんじゃないと答えた。
できるだけシンプルな手法というのは今全てのアートに通じることだと思う。
写真ではティルマンスが受賞していた。彼もまた巧みにテクニックを隠し意図的にシンプルを感じさせる作家だ。