上海、上からです

2000年を境に上海は劇的に変貌していく。その以前の市井の暮らしはあっという間に失われていく。なくなってしまうと、それは元からなかったことに感じてしまうものだ。上海の歴史を振り返った時に、1990年代の記録がまったく中国人の手でなされていなかったこ。

そこを丹念に撮っていたのが海原さんだったのだ。95年に上海を仕事で訪れた彼は、その後とりつかれたように上海行きを重ねていく。それを間近で見ていた僕は、なぜそこまでして通っているのか分からなかった。

こうして101枚の展示を見ていると、彼が上海にはまった理由が見えてくる。この風景がわずか数年前まであったかと思うと、それを自分が見なかったことへの後悔がよぎる。

海原さんに「もうこんな場所はないんでしょうね」と言うと「80パーセントはなくなった。でもまだ20パーセントは残っている。これからそこを見に行こう」と市内へ出た。

タクシーで向かった先は、上海に観光に行ったら必ず立ち寄る豫園(よえん)という、日本で言ったら浅草のようなところだった。僕も前回そこに行っている。「南翔饅頭店」のショウロンポウくらいしか見所はなかったはずだ。

彼は園内に入ることなく、路地を右に左に曲がると狭い路地に入っていった。観光客はとてもじゃないが入り込めないところだ。そこには両側にびっしりと建物が連なっている。炊事場の流しは外にあり、そこで料理も洗濯もなんでも済ます。洗濯物はあたり一面にロープが張り巡らしてあり、そこに干してある。まるで空にシャツが浮いているようだ。

家々の前にはお決まりのように爺さん婆さんが椅子に座って日向ぼっこ。通りがかりの人と話し込んだりお茶を飲んだりしている。人だかりはトランプ博打をやっているところだ。10人くらいが顔を突っ込んで様子を見ている。あちこちで麻雀や五目並べのような遊びをしている。場所代はもちろんタダだし、メンバーもすぐに集まる。家の中は窓から全部見える。生活の様子がまるわかりなのだ。