上海上から

建物を抜けるとそこは市場だった。市場と言ってもスペースがあるわけではなく、ただの道端に品物を並べているだけだ。それが延々と続く。これでもかというくらい物が並んでいる。野菜、肉、魚、得たいの知れない、おそらく食べ物としか説明できなもの。中古電気屋街には旧式のテレビが山と積まれ、それが何軒も何軒もある。同じ商品を扱って商売がなりたつものなのか。

鉄のパイプやネジが山積みしてあるお店には万力が備え付けれていて、曲げたり削ったりしてサイズを合わせて再生してくれる。使い古しの大小さまざまなキャスターの車輪が紐でくくられてぶら下げてある。日本ならどうみてもゴミ箱行きだ。使えるものは何でも使うというわけだ。

ついさっき美術館で見た光景が目の前で広がっている。始めは構えていたカメラも無力のような気がして次第にシャッターを押すのを止めていた。ただ撮っただけでは太刀打ちできそうにない。海原さんがライカやローライでは物足りなくてパノラマにいたった訳が理解できた。

「今見ておかないと、2年後の万博までにほとんどなくなってしまう」という言葉に頷く。

写真をやっていてスナップが好きなものなら興奮してしまう場所だ。今ならまだ間に合う。上海に行ったのなら是非見ておくべきだ。

海原さんの作品で一番好きなのは、茶館と呼ばれるお店で歌い手を皆がお茶を飲みながら見ている写真だ。茶館は今ではもうない。数十円あれば一日いれる社交場は、経済優先の資本主義の発達とともになくなってしまったのだ。茶館は今では資料館として残っているだけだ。なくなってしまったら、たとえ復活したとしても観光目的のものになってしまう。

夜、建物の取り壊し現場へ行ってみた。誰もいない瓦礫の山の向うに最先端のビルがそびえ立っている。海原さんが今撮影を続けているシリーズだ。映画のワンシーンなどと陳腐な言葉しか思いつかない。だって見たこともない、想像上でしかない世界なのだ。

万博まで開発は止まらないだろう。今がちょうど転換期だ。新しいものの後ろに古いものが残されている最後の瞬間かもしれない。