池袋のラーメン街へ。はやりのラーメンはやっぱり苦手

小田原の日。朝6時半に出て診察開始は12時。「異常なし」ということで診察は1分で終了。もうちょっと診てくれよ〜と毎度思う。

雑誌を見ていた友人が「この写真なんか変、気持ち悪い」と言う。「ハイパーリアルっていうイラストが昔はやったじゃない、あれに似てる。これ写真の上に描いているんじゃない?不自然だよ」

それはあるデジタルカメラの雑誌広告だった。見開きページ一杯に大自然雄大な風景が印刷されている。彼が不自然に感じた原因は、真っ暗であるはずの日陰の中の情報もちゃんと見えるし、もっとも明るい空の雲もしっかり描かれているからだ。今までの「カラー写真」ならそんなことはありえないほどのディテールの豊富さだ。

でもその情報量の多さが「不自然」さにつながってしまったのだ。フィルムの「情報量の再現力」はデジタルにはかなわない。その少ない情報量で表現されたものを「写真」と長年ずっと認識していたため起こる違和感なのだ。

でも、これからの世代はデジタルカメラで再現された情報量の多い写真をスタンダードとして認識するようになるだろう。すると美しい「写真」の定義が年齢で変わるかもしれない。

今現実におきている実例としては「色の再現」がある。フジの「ベルビア」が発売されて以来、印刷の色設定はベルビア寄りになってきた。青い空は真っ青に、緑はエメラルド色に輝いているのが正しいとなった。

だからいくらコダクロームを使おうとも、印刷の段階で「鮮やかに」設定されてしまう。コダクロームは好きなフィルムだったが、印刷で再現できないのなら使う意味はなくなってしまう。

追い討ちをかけるようにインクジェットプリンターの高性能化で、巷にあふれる色は「高彩度」のものが氾濫するようになってしまった。もうこの傾向は変えられそうにない。