「新 美の巨人たち」まだ観られます

朝=山かけキムチうどん温玉添え/夜=新高円寺で焼肉

月曜日から沖縄の予定だったけど、諸事情で延期になってしまった。何のカメラを持っていくか悩んでいる最中だったので残念だけど、また仕切り直しだ。仕方がないので半年ぶりくらいに焼肉を食べて、ケーキを買って家に帰る。そして夜の10時から始まる「新 美の巨人・ソールライター編」が放送されるのを待つ。知り合いやワークショップの人たちに「出るよ」とは言っていたけど、僕もオンエアで初めて見るので、収録で話したことのどこをピックアップされて出ているか知らされてはいない。だからちょっとドキドキしながら放送を待っていた。

番組が始まると「フィルムカメラが今ブームになっている。そんな彼らが注目する写真家がソールライター」みたいな感じで始まって、さっそく数秒間僕が出てきた。番組は、生前のソールライターご本人映像も挟みながら、落ち着いたトーンのナレーションのもと、女優・モデルのシシド・カフカを案内人にして、ニューヨークのソールライター記念館の館長や僕が出てくる構成になっていた。僕のひとつ一つの尺は短いが5回ぐらい出番があったから、爪痕はしっかり残した! と思いたいw

ところで、今回の出演にあたっては、事前に僕の事務所スペースで収録したのだが、音がすごくよく取れている。さすがだなあと、観ていて、そのことばかり気になってしまった。使っていたのはソニーのワイヤレスピンマイク。定番だがかなり高い。ふたつのマイクが同時に使えるタイプだと20万円くらいする。ずっと買いきれなくているが、自分の声があんなにクリアに取れることに驚いた。後処理もあるのだろうが、元のデータがいいのは聞いていてよくわかる。見逃した方へ。大丈夫です。

BSテレ東 8月5日(土) 23:30~24:00  でも再度放送されます! ぜひどうぞ。

<2021年7月23日の日記から>

何度やってもB &Hの決済ができないので、クレジットカード会社に連絡したら、不正アクセスだと思って止めていたらしい。数年前はよく注文していたのだが、最近はフィルムや印画紙の購入をしていなかったからなあ。ようやくエイトバイテンのカラーフィルム3箱を注文完了。長年やってみたかったことをひとつクリア。まだ何も撮ってないけど(笑)たった30枚、何かのシリーズを作るには少なすぎる枚数だ。なので、30枚という数を利用して毎日1枚づつ撮るという「日録」を1か月やってみたらどうかと考えている。言うほど簡単じゃないけど、2021年の夏をひと月撮るのもいいんじゃないかと。恵比寿のアメリカ橋ギャラリーでやっている蒲原 裕写真展「醒めない正夢」を見に行った。ローライフレックスで撮られたカラーネガプリントということで気になったのだ。解像度の低いプリントに最近惹かれる。高画素デジタル機はモニターで見るといいのだが、プリントアウトすると良さが半減する気がする。そのまま近くの東京都写真美術館地下でやっている「世界報道写真展2021」を見る。毎年やっている恒例の写真展だが、見にいくのは久しぶりだ。報道写真展で受賞している作品のアプローチは、現代写真とまったく同じ。ベースにはSDGs(持続可能な努力目標)があり、貧困と環境問題になっている。歴史上の決定的瞬間を捉えたものではなくて、テキストを読まないと理解できないのも現代写真そのもの。スポーツ写真の部で自転車レースの壮絶な落車シーンがあって「これぞスポーツ写真」という1枚だったが、それは3位入賞だった。そういえば「渡部さん、もうスポーツ新聞の写真に決定的瞬間はいらないんですよ」と新聞社時代の後輩カメラマンも言っていた。いつも思うのだが、海外のカメラマンの写真のレタッチって日本人とはまったく違う気がする。同じカメラ、おそらくキヤノンかソニーなわけだが、彩度やコントラストが高いわけではないのに、押しが強い印象を受ける。

<2008年7月23日の日記から>

映画「クライマーズハイ」を観た。見る前は怖かった。冒頭から30分は心臓がドキドキとなって落ち着かず足を何度も何度も組み替えた。日航機墜落を題材にしているが、内容は地方新聞社デスクの苦悩だ。3年しかいなかったのに、もう20年以上前の話なのに、その細部が手に取るように分かる。編集と販売のせめぎ合いで、15分、たった15分下版を遅らせただけで販売が血相をかかえて怒鳴り込んでこんでくる下りは懐かしいとさえ感じてしまった。そしてあの記者のデスクに対する物言いは現場の雰囲気そのもので、あの当時自分も新米ペーペーのくせに上に食ってかかったことを思い出した。事故現場に登った記者が無線を導入してくれと懇願するくだりは、まさしく自分が現場でデスクに何度も電話で訴えたことだった。当時はまだ携帯電話がない。かろうじて自動車電話があったが、超高級品で手に入れるのは難しかった。たった24年前の話だ。携帯があれば何の苦労もないことを走り回って連絡を取ろうとしていた。そして電話がない場所ではすべて自己判断を求められる。「どうしたらいいですか?」とお伺いをたてることはできないのだ。今、目の前にあることを自分で判断しなければならない。たとえそれが新人であっても現場に頼れる人はだれもいない。周りにいるのはライバルだけなのだ。もしあの事故がなければ、おそらくもう少し新聞社に留まっていただろう。そしたら新聞社の面白さが分かっていたかもしれない。そんなことずっとありえないと思っていたが「クライマーズハイ」を観て気持ちが動いた。でもないだろうな。あの人たちは新聞が大好きなのだ。元旦にしか休まないという人までいた。家に帰るのは毎日下版が終わる11時30分。家に着く頃には日付が変わっている。それでも次の日は早朝から取材がまっている。それでも面白いと感じる人がたくさんいる。そんな世界だ。実はいまだに新聞社の夢を見てうなされる。PTSDのようなものだ。刺激的で面白くて辛い日々だった。