「犬をつなげ」

朝=まぐろ漬け茶漬け/昼=ホットドック/夜=レタス豚しゃぶ

雑誌社から、以前僕がモンゴルで撮った、青いピンホールの写真を10ページの特集で使いたいと連絡があった。旅に出られない時代だから「旅写真特集」なんだそうだ。

データをアップしようとしたら、ファイルを入れてあるHDDの電源が見つからずちょっと焦る。クラウドに上げていたものは少々サイズが小さいのだ。そこで、3台あるMacbbokProを探したら奇跡的に一番古いMacにTIFFファイルが残っていた。ZERO2000というピンホールカメラに、タングステン光用のフィルムを使っているので、青が強く出てくるのだが、モンゴルだとむしろその方が自然に見える。写真につける2000字のテキストを一気に書き上げた。タイトルは「犬をつなげ」。

僕は2005年、2006年、2010年と3回モンゴルに行っている。考えもつかないような面白いことが毎回おきた。これまで行った国で一番印象に残っている。お世話になったゲルの人たちは今どうしているだろう。隣の家が20キロも離れているような暮らしだから、もしかして何も変わってないかもしれない。一方で羊飼いをやめて都会で暮らしているのかもしれない。原稿を書きながら、次に海外に行けるのはいつだろうなと考えてしまう。行くならアジアだな。早く落ち着いてくれないかな。

 

<2008年7月23日の日記から>

映画「クライマーズハイ」を観た。あの事故現場に行った僕は、観る前から怖かった。冒頭から30分は心臓がドキドキとなって落ち着かず、脚を何度も何度も組み替えた。

この映画は日航機墜落を題材にしているが、内容は地方新聞社デスクの苦悩だ。僕自身、3年しかいなかったのに、もう20年以上前の話なのに、その細部が手に取るように分かる。編集と販売のせめぎ合いで、15分、たった15分下版を遅らせただけで販売が血相をかかえて怒鳴り込んでくるシーンは懐かしいとさえ感じてしまった。そしてあの記者のデスクに対する物言いは現場の雰囲気そのもので、あの当時、自分も新米ペーペーのくせに上に食ってかかったことを思い出した。事故現場に登った記者が無線を導入してくれと懇願するくだりは、まさしく自分が現場でデスクに何度も電話で訴えたことだった。当時はまだ携帯電話がない。かろうじて自動車電話があったが、超高級品で手に入れるのは難しかった。たった24年前の話だ。携帯があれば何の苦労もないことを走り回って連絡を取ろうとしていた。そして電話がない場所では、すべて自己判断を求められる。「どうしたらいいですか?」とお伺いをたてることはできないのだ。今、目の前にあることを自分で判断しなければならない。たとえそれが新人であっても現場に頼れる人はだれもいない。周りにいるのはライバルだけなのだ。もしあの事故がなければ、僕はおそらくもう少し新聞社に留まっていただろう。そしたら新聞社の面白さが分かっていたかもしれない。そんなことずっとありえないと思っていたが「クライマーズハイ」を観て気持ちが動いた。
でもないだろうな。あの人たちは新聞が大好きなのだ。元旦にしか休まないという人までいた。家に帰るのは毎日下版が終わる11時30分。家に着く頃には日付が変わっている。それでも次の日は早朝から取材がまっている。それでも面白いと感じる人がたくさんいる。そんな世界だ。実はいまだに新聞社の夢を見てうなされる。PTSDのようなものだ。刺激的で面白くて辛い日々だった。