面倒臭い話

朝 お餅2個、根菜のお汁、納豆

夜 白菜と豚肉の蒸し鍋、うどん

先日終了した今年のルデコグループ展では、3階のフロアーに学生だけを集めるという今までにないことをやってみた。過程としては大変だったけど、終わってから考えると面白い経験だった。なぜわざわざ学生とやってみようかと思ったかというと、僕の個展に来てくれたひとりの学生と話しているうちに「なんかやろう」と盛り上がったから。4月から本格スタートしたのだが、思い通りにはいかない。それまでのワークショップとはまるで勝手が違うことに戸惑ってしまった。大学で教えている友人数人に、彼らがどういうメンタリティで、どのように反応するかを教えてもらう。

「怒っちゃいけない、怒鳴っちゃいけない、わかりやすい課題を出す、課題ができたら褒めるとにかく褒める、レスがつかないのは当たり前、既読がついたら了解の印」

それを教えてもらってからは考え方を改めて彼らと接していたのだが、最後に一度だけ声を荒げて怒ってしまった。感情的だったと反省している。それは展示の搬出で、業者に返すための梱包をしていたある学生に「業者の人が後で仕事をしやすいように丁寧に梱包して」と声をかけたのだが、なかなか思うようにできずイライラしていた彼はつい「ああ、面倒臭え」と声に出してしまった。その瞬間、僕は「いいか、この業界で生きていきたいと思うのなら、二度と面倒臭いという言葉は使うな」と怒ってしまったのだ。後味の悪い雰囲気が残った。僕自身「面倒臭え」を連発していた時期があって、楽に簡単に成功できる方法ばかり探していて嫌われていた時期がある。だから大層なことは言える立場じゃないのだが。言われた学生は「ああ、面倒くせえ」と思ったろうな。そして僕の言った意味に気がつくのは10年後くらいかもしれない。

<2015年12月4日の日記から>」

プリントを買う。今年最後の大きな買い物。

2016年1月8日金曜日からギャラリー冬青で個展だ。月末30日土曜日まで続く。もうそろそろ告知が出るはずだ。ギャラリー冬青はコマーシャルギャラリーという立ち位置なので、作品は見せるものであり、同時に商品である。ここが見せることだけが目的になるメーカー系のニコンやコニカミノルタと大きく違うところだ。あるコマーシャルギャラリーには入口に「買う気のない客は入るべからず」と張り紙がしてあったことがあったそうだ。海外の人気作家ゆえ、来客が多く、そのせいで騒がしくなり販売どころじゃなくなったからだそうだ。オーナーは「八百屋にいい大根だねと褒めにくるお客さんは必要ない」と言い切っていた。作品を売らないことには経営が成り立たないからだ。

ニューヨークやパリだと事前にアポイントを取ってからでないと作品を見られないところも多いし、会員制のところもあるらしい。一見さんお断りのギャラリーだ。日本にも現代アート系のギャラリーだとアポイントを必要とするところがある。ギャラリー冬青はそんなことはなく、誰でも自由に入ることができる。入場料もいらない。ミュージシャンなら、どんなに新人でも入場料を取るのにね。

販売の場所で自由に見てもらう理由としては、まずは作品と作者を知ってもらうことが大事で、その後それが口コミやネットでジワジワと評判が浸透していき、購入してくれる人が増えるという流れが期待できる。知らない人の写真は、どんなに気に入ったとしても購入するとなると躊躇するものだ。決して安くない買い物だし生活が便利になったりするわけでもない。

僕自身がプリントを買うのは多くて一年に3枚くらいなのだが、資産になるから買うわけではなく、その作家をこれからもずっと見ていきたいと思える人だけ買うことにしている。なので同年代から若手のものが中心になる。デビュー作のものを一目惚れで買うことはまずない。個展のたびに観に行き、この人はずっと活動を続けていくと確信したときに購入を考えるようになる。買うときは、「今日は買う」と決めてギャラリーに行くことがほとんどだ。一番嫌なのはプリントを買った作家が活動をやめてしまうことだ。作家として人生を全うしようとする気がないと買う気はしないし、それが感じられたら応援の意味も出てくる。僕自身売る立場でもあるから、買ってもらうことの重みは骨身にしみている。買ったものは毎日愛でるというよりも、1枚買うことでその作家のその後の活動がとても面白く見れるようになる意味合いの方が自分にとっては大きい。作品を売ってみたいという人は、買ってみる経験をしたほうがいいよ、とよく言っている。それがどんな意味を持つかがよくわかると思うからだ。

作品搬入のためにギャラリー冬青に行ったら、ちょうど12月の展示の亀山仁写真展「Thanaka Ⅱ」の作品の掛け替え準備中だった。まだ床に置かれたままの写真を見る。亀山さんの写真は初期からずっと見ていて、冬青では2度目の展示だ。同じミャンマーを扱ったものでも1度目とは違った印象を受ける。ギャラリースッタフに赤いピンをもらい、湖の写真の上にそれを刺した。