2010年くらいから写真を取り巻く状況lが劇的に変わってきた。そして2013年にレビューサンタフェでの体験がきっかけで、現在の写真は現代アートと密接にl繋がっていると肌身で感じたのだった。
これは「写真は写真だ」と思い込んでいた僕にとって一大事だった。現代アートを理解できないと、写真が理解できない時代になってしまった。
とはいえ現代アートの素養なんてないも等しい。そこで今更ながら美術史を勉強することになった。学生時代に必修科目でやったはずだが、全くと言っていいほど覚えていない。一からやり直し。50からの手習いだった。
ギリシャから始まる西洋美術の流れを縦軸、作家の作品と当時の社会的状況を横軸として紡いでいく。当たり前だが社会の状況とアートは密接に繋がっていた。
アウトラインだけと思っていたのに、いつの間にか美術史にはまり込んでしまった。社会の動きは美術を生み、お金の流れは美術の流れを作っていく。古典美術は近代美術へ、そして現代アートに繋がり、その先っぽに写真が紐付いていた。すべてにそうなるべき理由がある。こんなことは美術を専攻している学生にとっては当たり前の常識なのだろうが、写真を写真だけで理解しようとすると抜けてしまうところだ。
昨日は恵比寿のブックショップギャラリーPOSTで行われた「ドイツ写真の現在2016」を聴きに行った。近美の 増田さんによる現代ドイツ写真の解説だ。ドイツ写真といえばベッヒャー。現代アートと写真を組み合わせ、1990年から2000年までの時代を作り上げた。
ベッヒャー以降のドイツ写真を語る場合、東西ドイツの統一という問題が大きく影響を残しているということだった。ミハイルシュミットの写真集「U-N-I-T-E(統一)」になぜハイフンがはいっているのか。東ドイツ出身の作家から見た統一とはなにかを表している。
美術史を見直した結果、現代アートは背景と文脈の理解があって初めて読み解けるようになっていて、作家の個人的なイメージで作り上げるようなものではないのだと理解できた。見て感じて、という受動的な受け止め方では足りないようになっている。
タイムリーなことに冬青社から寺田侑「アートを見る力・考える力」が発売された。美術史をベースにした現代アートの見方で、まさに僕がここ3年間やってきたことがまとまっている。
写真を見ることはずっと好きだったが、近頃では1930年から60年にかけてのアートを見るのがとても面白くなった。