鯖の半干しと里芋の煮物、正統派すっぱい梅干。

上田義彦」「森山大道」「中平卓馬」を見に恵比寿、川崎、横浜を一気にまわる。

上田義彦は12年ほど前、麻布狸穴の彼のスタジオでおこなわれた写真展が強烈に印象に残っている。会場全体を支配しているイメージがはっきりと見るものに伝わり、写真のサイズ、点数、カテゴリーと全てが完璧だった。献花はスタジオ外に追いやられ、会場に飾られていたのは白いチューリップだけ。

その展示を見ながら「自分のやっていることは写真ではない」とさえ思ったほどだ。だから今回の写真展に期待するものは大きかった。

大きかったため落胆の具合も激しかった。なにががっかりしたかって、写真額装の表面のガラスやアクリルの反射が激しくて中のイメージがまったくといっていほど捉えられないのだ。自分の顔がはっきりとガラスに映りこむ。一番イライラするパターンだ。

なにか意図があるのかと勘ぐりたくなるような展示だった。最後の最後にあったポートレートの一群だけは反射が少なくじっくりと見ることができた。東京都写真美術館はなにを考えているのだ!600円のお金を取る展示では決してない!しかしポートレートの写真がよかったので写真集「PORTRAIT」を5800円で購入。

恵比寿から川崎市民ミュージアムへ。森山大道「光の狩人」。デビューから現在までの系譜を年代ごとに豊富に展示してあった。恵比寿でのイライラはここですっきりとした。オーソドックスにまとめられているものの、所々に森山大道の著書の抜粋や当時のインタビューのテキスト、掲載誌などがが合わせて展示してあって興味深い。デビューから10年ほどの質量は凄みがある。

いい気分で横浜美術館へ。森山大道と同時代に活躍した中平卓馬は、レトリックを存分に操った文章と写真で1970年代のカリスマだった。当時の写真雑誌には必ず2人の名前があったものだ。病で一部の記憶をなくしたあとは淡々とした日常を図鑑のように撮っている。川崎の森山大道展とは逆に、現在から過去へ遡る展示だった。

いままで印刷物でしかしらなかった中平卓馬のオリジナルに触れられた意義は大きい。現在と過去の写真を同時に見ることで彼が捨て去った叙情性を考えることができた。「森山大道中平卓馬」を特集した美術手帳を購入。

川崎、横浜ともに東京からわざわざ足をのばしても十分納得のいく写真展だった。11時に暗室を出て、戻ったのは夕方6時半。一日仕事だ。