近頃、「追いかけられる」夢をみる

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朝 キャベツと鰯の玄米パスタ

夜 鳥の唐揚げ、厚揚げとゴーヤの煮物、ジャコとニンニクの玄米チャーハン

 

気になるので調べてみたら、夢の中で追いかけられて足が重いのは「自信喪失、プレッシャー」とあった。

 

「100年に一度の天才と言われている若者が個展やっていますから見てください」と教えてもらったので、神保町まで見に行った。

作者の大西ちふは18歳で岡本太郎賞を受賞。高校3年生18歳の時だ。

2会場で行われていた展示はすでに回顧展の様相を呈していた。圧倒的な質量。

作品の多くに販売を示す赤丸がついている。20年後には価格は100倍くらいになっているかもしれない。中学生からすでに完成された、いや何を持って完成というか分からないが、とにかく見るものを圧倒する。

ひとりで戦後美術史をやっているんじゃないかというくらい。フリーダカーロ、フランシスコベーコン、エドワードホッパーも。

太い線で輪郭を描くのは日本的だし。すごいもの見ちゃった。

その足で「南青山ギャラリーストークス」で服部一人写真展。彼は現在日大芸術学部の准教授で、僕の同級生。

彼が学生時代に旅先で撮った写真が展示されている。プリントは今年焼いたものだが、こんなにすごいプリント久しぶりに見た。

とても学生が撮ったものだとは思えない。彼が大学2年と3年の間ぐらいの春休み期間で撮ったものだというから20歳だよ。

モノクロプリントが好きという人は見に行った方がいい。驚くから。9月6日(月)16時まで。

夜はビールじゃなくてワインでも飲もうと思って床下収納のから1本取り出した。

自分で買ったものではなくて、頂き物だったり、娘が買い集めているものだから、値段とかさっぱり分からない。

コルクじゃなくてスクリューキャップだから、なんとなくリーズナブルなのかと選んだ1本が、なんとべらぼうにうまい。「こんなに美味しいということは」とアプリで値段を調べたら、5千円以上するワインだった。どうりで美味しいわけだ。娘にまた怒られそうだ。でも開けちゃったから「今日はお祝いだ」ということにして飲んだ。

 


<2015年8月4日の日記から>

屋久島のお土産「鯖の燻製」を使ったパスタ。これはいけます

屋久島から戻った。毎日写真祭の準備と撮影で忙しかったが楽しかった。日本の招待作家も決まり、企業や自治体も協力してくれることになっていた。

僕はこれまでの個展やグループ展、海外フェスティバルの経験から、展示方法のアドバイスをしただけ。あとは屋久島の二人が寝る間も惜しんでの奮闘だった。東京にいてはわからない運営の大変さを肌で感じた。残り1か月、できるだけのことは手伝う、その覚悟のようなものができた。

昨日写真家の中平卓馬さんが亡くなったという書き込みがSNSに流れてきた。ニュースにはなっていなくて本当だろうかと思っていたが、今日になって肺炎で亡くなったことがわかった。享年77歳。

僕が14歳の時に初めて買った写真雑誌が『アサヒカメラ』だった。写真の面白さにはまり、毎月の発売が楽しみだった。森山大道と高梨豊、篠山紀信が毎号グラビアを飾り、もちろん中平卓馬はかかせない存在だった。

篠山紀信x中平卓馬「決闘写真論」が連載されていて、意味はわからないが、これを読まなくてはいけないということだけは伝わってきた。

2Bワークショップの初めてのグループ展に中平さんが突然来てくれた。その顛末は「旅するカメラ2」に書いたが、あの時の興奮はいまでも覚えている。

ペンタプリズムが凹んだキヤノンF-1に100ミリマクロをつけていて、フィルムは感度100のポジ。シャッタースピードは1/125秒、絞りは11半になっていて、その設定でしか撮らないといっていた。

その設定では晴れた日で、光がたっぷりあるところ以外は撮れない。中平さんの設定は「光優先」モードになっていた。

撮るものはすべて縦位置で対象は寝ている人やネコ、植物など限定されている。それを2枚一組にするのが流儀。純粋写真とも言えるような写真の物語性を徹底的に排除した、具象を使った抽象表現になっていた。そこにセンチメンタルもノスタルジーもない。抑揚のない写真は見るものに予定調和という安心感を与えない。中平さんの『なぜ植物図鑑か』という評論集は、タイトルからしてそのまま現在の現代芸術のあり方を表している。

その数年後も、再度ワークショップのグループ展に来てくれた。2時間以上、山梨まで夜通し自転車を走らせた話や沖縄に行ったときのこと、大きい蛇の話を身振り手振りで話してくれた。

中平さんの存在は僕にとって、もはや神様か仙人かというレベルだった。ずっとお元気だった印象だったので訃報に驚いた。

ご冥福をお祈りします。