あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。2023年の3月で僕は62歳になります。体の変化を感じることも多くなってきたけれど、大晦日の紅白に出ていた佐野元春を見て、年齢とかっこよさは関係ないと思ってしまいました。

今年はすでに1月に『da.gasita』の再販、2月に新宿北村写真機店で「da.da in monchrome」の個展、3月は書き下ろしの書籍出版、4月には新ギャラリー冬青で個展が予定されています。

もちろん「2BChannel」も続けていきます。

最近では活動の中心がYoutubeで、そこにさまざまなものがくっついている感じです。「2BChannel」はただの一度もバズることなく、淡々と登録者を伸ばし、2万人の目処が立ってきました。続けていく難しさと同時にメディアを持つ面白さを感じています。

昨年は京都、秋田、青森、瀬戸内、名古屋、屋久島、箱根と国内を回ってきたけれど、今年はなんとしても海外に行きたいと思っています。何かきっかけがあればすぐにでも飛んでいきたい気持ちです。もう一度アジアの安宿に泊まりたいし、ベルギーやオランダにも再訪したい。そのためにも今年も健康で、たくさん仕事をして、カメラを買って、旅に出て。ということで、皆さま今年もどうぞよろしくお願いします。

 

2022-01-01
20年分の「あけましておめでとうございます」
2022年1月1日。あけましておめでとうございます。

大晦日も動画の編集。午後4時にMacの電源を落として銭湯へ。風呂上がりに日本酒とコーヒー豆を買って帰る。あとはコタツでゴロゴロ。テレビ見るのもすごく久しぶり。

2002年からずっと元旦に日記を書いている。40歳から60歳までの新年の抱負だ。思いもよらぬことがあって、思いがけないことも起きた20年。いつも今年はいい年になると信じていたし、2022年もそう。写真の世界は20年前とは信じられないほど変わっていて、タイムマシン使ってあのころの自分に「お前は60歳のときにYoutubeなるものを始めていて、大晦日も動画編集することになる」って教えたらどんな顔するだろう。たぶん「なにやってんだよ」って怒るはず。そんな自分に「60歳になるまでいろいろあるけど、まあなんとかなるから心配しなくていい」と伝えておきたい。大晦日まで働いていたので、三が日は何もしない。でも多分やっちゃいそうだ。今年は1月の冬青での展示がないので仕事始めは6日から。『2BChannne』のライブ配信は5日の水曜日。2022年もコツコツアップしますのでよろしくお願いします。

 

◉20年分の「あけましておめでとう」

<2002年1月1日>
年明け早々からこのコラムを見てもらえたこと、とても感謝しています。昨年6月から始めて半年、いろいろな人に「見てるよ」と声を掛けてもらいました。作った当初は更新を重ねる自信はありませんでした。しかし書いていくうちにペースがつかめ、コラムは50近くにまで増えました。肝心の写真はまだ少ないのですが。100のコラムと100のギャラリーを目指して今年も続けて行きます。「よくそんなに写真のことだけで書けるね」と感心されますが、町工場のオヤジが「ネジ」について一晩しゃべり続けられるのと一緒です。365日、朝から晩まで布団に入ってからまでも写真のことを考え続けています。写真のことが頭から離れるのは、体を動かしているときか、おいしいものを食べているときぐらいなものです。別に「そうあらねばならぬ」と思っているわけではなく、ただ写真が好きなだけなのです。好きなことを一年中考えていられて、好きなことをやって皆に喜んでもらえるのは幸せ以外の何ものでもありません。 いいことばかりでもありませんでした。昨年は始めて「不況なんだな」と実感しました。雑誌が好きで表紙を含めてグラビアで仕事をしています。今までは世の中が不況だ不況だと言っていても、こと雑誌に関してはいい写真を撮ってさえいれば全てが許されるところがありました。しかし昨年からは「コスト」というものを意識せざるを得ません。写真集の版元であった「モール」の倒産、2年間表紙を担当していた「モバイルアイ」の休刊。三國連太郎、美輪明宏、喜多郎などシブイ人を撮らせてくれた「おとなぴあ」も一時休刊。出版不況はまだ今年も続きそうです。だからといって今までの手間を掛けた仕事のやりかたを変える気にはなれません。自分を必要としてくれる人のために今年も頑張っていきます。また必要としてくれる人が一人でも多く増えればこんなに嬉しいことはありません。今年41歳。厄年です。 10歳の夏休み、盆踊りのスピーカーからは「あと、さんじゅうね~んで、にじゅういっせいき~」と流れていました。三波春夫が歌っていた「21世紀音頭」です。「30年後、21世紀になる頃40歳か」。子ども心に40歳という年齢には圧倒的な絶望感を抱いていました。イメージは「腹が出た生活に疲れたおじさん」です。想像していた21世紀は「空中都市」に、「銀色のテカテカの服」「錠剤になったゴハン」です。その生活におじさんは似つかわしくはありません。21世紀になっても「空中都市」は実現しませんでした。けれども、僕自身は少々腹は出てきたもの生活には疲れていません。10歳のときに考えていた40歳の自分よりも全然OKです。40歳になったら気持ちは30歳台よりもずいぶんと楽になってきました。仕事も経験を裏打ちにできるし、まわりもちょっとは見えるようになってきました。つまらない見得を張る必要もありません。そんな今、積極的に撮っているのは「東京」です。モノクロのスナップではなく、シノゴを三脚に据えてカラーで撮っています。「こんな東京知らないでしょ」とか「なつかしい東京」と言った類ものではなく、「皆が常に見ている東京」。雑誌「東京人」で撮っていたものがベースになっています。このサイトの中の「プロフィール」・「東京人」・「東京大観光」で一部見ることができます。撮り始めて、あらためて東京の面白さ、美しさを再認識しています。ここ数年でパリやロンドン、NYを見て回りました。そして他の都市に比べ圧倒的に東京が大きいのを実感しました。 東京は「メガロポリス」です。東京の大きさは、内包しているものの多様性を表しています。雑多で猥雑で新と旧が交じり合い、奇妙なバランスを保っている。自分が住んでいる東京がこんなに面白いとは40歳で初めて気がつきました。今なら東京が撮れそうです。夏までには撮影を終え出版を目指します。東京に住む人はもとより、海外のいろんな人々に見てもらいたい。これが今年の目標です。世界中が日本に注目し始めています。音楽やアート、ファッション。群発的に起こっているジャパンムーブメントが、サッカーワールドカップをきっかけに大きくなることでしょう。でも日本の情報はまだまだ世界に伝わっていません。特に東京のことは、興味を持つ人の多さに比べて情報がないに等しい。いまだに侍の国と思っています。僕の撮っている東京が、リアルな東京の一端を伝えられる一助になればいいと思っています。
今年は、この撮影のことでたくさんの人に協力をお願いすることになるでしょう。みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。 

 

2003-01-01

今年の雑煮は東京風

娘が一足先に田舎に行っているため、なんとものんびりとした正月を迎えています。地元米沢では、「お年とり」といって大晦日の晩に盛大にご馳走を食べる習慣があります。「おせち」の中に入っているような数の子やら、黒豆やら、なますなどもその日に食べてしまいます。したがってお重に入った「おせち料理」はありません。もちろん蕎麦も食べません。夕方から飲みながら食べながら大晦日を過ごします。一年中で一番大事な日です。東京生まれ東京育ちの妻と結婚した最初の年、大晦日の晩に彼女が冷蔵庫の残り物のようなもので軽く済ませようとしたため、思わず喧嘩になりかけました。妻は「大晦日は軽く蕎麦を食べるくらい」の認識しかなく「盛大に」を当たり前と考えていた僕とに大きくずれがあったのです。正月用に作っていたものを全部テーブルに出すことでようやく納得したのを覚えています。ちなみに米沢のお雑煮は鳥だしの醤油味で、大根、高野豆腐、鳥肉、せり、ごぼうなど結構具沢山。東京のあっさりとしたお雑煮を始めて食べた時はショックでした。今年の大晦日は江古田の蕎麦や「甲子(きのえね)」で酒の肴と天ぷら蕎麦を食べ、軽く飲み、家に帰ってからはスパークリングワインの甘いのを1本空けたくらいで、まるで老夫妻のような大晦日でした。何もないことがいいことなら、昨年は幸せな一年だったと思います。今年もずっと「写真生活」を続けていけたらと思っています。

 

2004-01-01

大晦日は毛蟹。一ぱい1800円。目の調子も安定してきて、楽しいお正月を迎えることが出来ました。ただし、残念ながらお酒は抜きですが。日付が変わった頃、家の前の小さな神社におまいりに行きました。毎年お願いするのは、「お金持ちなりますように」でも「いいことがありますように」でもなく、「また来年笑ってお正月を迎えられますように」ということだけです。一年の内にはいいことも悪いことも様々あるでしょうが、区切りとなる新年には「去年もいろいろあったけれど、いい年だったな」と振り返りたいのです。本当に昨年はいろいろありました。目が悪くなったのは11月の17日。それまでは順調すぎるほどの毎日でした。本は出版するは、やりたい仕事が切れ目なしに入ってくるは、お金のやりくりでなやむこともなく、まさにわが世の春でした。ピークともいえる状況から急転直下、カメラマン人生をおびやかす目の悪化に1週間は胸がつぶれる思いでした。相次ぐ検査に急な手術、そして12日間の入院。テレビも本も見ることができない状態でいろんなことを考えました。カメラマンができなくなったら、写真が続けられなくなったら… 今まで考えもしなかったことばかりです。幸い手術は成功し、復帰の目処がたってきました、一つ失うものがあれば一つ見えてくるものがあると信じています。いったい新しくなった目には何が写るのでしょうか。今年も昨年以上に新しいことに取り組みたいと思っています。2004年1月1日、東京はきれいに晴れています。

 

2005-01-01

おめでたいので「越の寒梅」をいただく。WEBで新年の挨拶をするのはこれで4回目。10年後、20年後にデータが残っていたら、この時代のことを「若かったな」と思うんだろうな。年末は「米沢」に一泊だけして写真を撮り、福島県南会津の台鞍山スキー場へ。大晦日に東京に戻ろうと思ったら東北自動車道で大雪に遭遇。スタッドレスタイヤを履いていたから何の問題もなかったが、渋滞に巻き込まれ家に帰れたのは夜になってしまった。一昨年から写真を発表できる機会が多くなった。今年こそなんとか「TOKYO LANDSCAPE」を形にしたい。米沢も春夏秋冬と撮影し、もう一年続けるつもりだ。今年も撮影とプリントを繰り返す一年になるだろうな。それと、昨年はどこへもいけなかったから今年は海外へ出たい。シチリア?ベトナム?モンゴル?さて、どこから行きますか。

 

2006-01-01

大晦日まで、2月のギャラリー冬青での写真展準備のため暗室に入っていました。2年かけて撮影した「米沢」が形になるのはとても楽しみです。昨年は5回もグループ展を主催したり参加しましたが、今年も個展を含め、多くの展示機会を作りたいと思っています。また昨年はモンゴル、重慶、ミャンマーと心に残る旅ができました。久しぶりに旅のスイッチが入ったようです。年末に「写真に命かける」酔っぱらい達と飲んだことで、モチベーションはかなり上がっています。今年もよろしくお願いします。

 

2007-01-01

久しぶりに米沢の友人と会った。彼は船乗りだ。飲みながら彼は「最近どこへ行った?」と聞いてきた。モンゴルやミャンマーの話をすると「それならいい。『若くして旅をせざるものは老いて何を語るや』だ」と言った。その言葉は孔子だったか孟子だったかショーペンハウエルだったかは忘れたが、高校時代の彼の口癖だった。僕はその言葉が大好きだった。すっかり忘れていたはずの言葉が自分の中に帰ってきた。そしてなぜ僕が旅を続けるのかを思い出した。いろんな経験を重ね、老いて何かを語れるような大人になりたいとあの頃思っていたのだ。新聞社を辞め、フリーになった。それまでの報道写真から一転、雑誌や広告の仕事をし、写真展をやり写真集を作り、書籍を出し、ワークショップを開き、講演会や講評の依頼を受ける。写真に関する多くのことを経験してきた。それもすべて旅だと思えば合点がいく。近頃は自分が進む道のあやふやさに戸惑いを覚えることが多かったが、全ては高校時代自分が望んでいたことなのだ。友人と別れた後つぶやきながら家路についた。「若くして旅をせざるものは老いて何を語るや」

 

2008-01-01

米沢の雑煮は鳥だしの具たくさん。新年あけましておめでとうございます。米沢では2日間ずっと雪が降り続き見事なくらいの銀世界です。今年2008年は、平成で言うと20年にあたります。20年前、昭和64年のお正月は辛いことがあって、おめでとうとお祝いができない年でした。年が明けようやく「おめでとう」と笑っていえるようになりました。それからというもの、初詣でお願いすることは「来年も笑ってお正月が迎えられますように」と決めました。今でもそれは変わりません。一年間いろいろあっても年のはじめは笑って過ごせるように。2007年はいろんなところに行きました。台湾から始まって上海、アルル、インド、シンガポール、内モンゴル、オランダ、パリ。その間を縫って毎月一度は米沢に帰りました。7月には写真集『traverse』と『旅するカメラ3』が。それに合わせて1ヶ月間ギャラリー冬青で写真展を開き、アルルの写真フェスティバルに行ってきました。それがきっかけで11月にはパリの写真ビエンナーレに参加することができました。まさに「traverse」。ジグザグにウロウロしていました。今年はおとなしくしているつもりでした。でもやっぱりウズウズします(笑)「traverse」の次になにをしようかと思ったとき、いろいろコンセプチュアルなことを考えたのですが、自分には格好いい写真は似合わないと気がつきました。スタンスは変わらず、そのままです。行きたい場所は日本海を隔て接している外国です。船で行けるロシア、韓国、中国、台湾。近くて遠い国を覗いてみたい。今年もまたウロウロします。皆様よろしくお願いいたします。

 

2010-01-01

笑ってお正月。ネットに新年の挨拶を書き始めて8年目。あらためて今まで元旦に書いたものを読み直してみました。その時々の心境が書かれています。共通しているのは1年間色々あるだろうけれど新年は「笑ってお正月」を迎えられたらいいなということでした。昨年の元旦の日記には「冬の時代」のことを書きました。世間一般の景気のことではなくて、個人的なサイクルとして冬の時代に突入しているのを実感しているということです。日記には「冬には何もするな」と書いていました。それに従うように自分から動くことは一切なく、海外へも仕事でモルジブとオランダに行っただけでした。ギャラリー冬青で写真展をやったり、グリフィン美術館のサイトで写真がピックアップされたり、美術館が作品を収蔵してくれるという喜びもありました。仕事以外では10年ぶりに家を引っ越しました。でもこれは自ら動いて探しだしたというより不思議な縁で動いたものでした。基本的には自発的に何もしていない1年でした。声をかけてもらったことだけを頼りに行動していました。秋口には原因不明の体調不良などがあり益々行動を自粛していた感があります。ところが11月くらいから体に妙な力が湧いてくるのを意識するようになりました。指先まで血が通っているのが分かるほどです。肩こりもほとんどなくなり体調が良くなっているのが分かります。どうやらちょっとづつ動いても大丈夫な季節になってきたようです。今年はまた自らの考えで行動し始めます。海外へも行くでしょうし、新しいことも始まる気がします。ただしまだ暖機運転中。ギアをローに入れてまずはソロソロ動き出します。今年もよろしくお願いいたします。 twitterはフォローしてもらっているのに計26回しかつぶやいていません。苦手なようです。見るのは好きなんですが。今年の最初のつぶやきは「ニューヨークなう」にしようと決めています(笑)

 

2011-01-01

今年は東京での年越しです。昨年を振り返ると「待ちの1年」につきるわけで。6月までは何も動かないだろうということは、これまでの人生サイクルから何となく分かってはいたけれど、分かってはいても、どこかで何かを求める気持ちはどこかで出てくるし。欲しがらないようにするのが大変だった。文化庁の海外留学制度には、実は昨年の1月に応募を決めていた。そこから家族を説得し、5月に日記を通じて宣言して、7月に募集が正式にアナウンスされると受け入れ先や国内の推薦人を探しに奔走し、9月に書類を提出すると、2次面接の通知を首を長くして待ち続けていた。1月からは自宅のポストを日に2回のぞいてはため息をつく毎日だった。それがようやく本当にようやく先週、2次の通知が届いた。長かったあ。まだ何も決まってはいないんだけどね。でも「なんだか行けそうな気がする」のだ。試しに1961年3月26日生まれの運勢をネットで見てみた。鏡リュウジのやつだ。そしたら…「あなたはまだ見ぬ世界につながる扉を大きく開け放つのです! あなたにとってこの2011年が、人生の分岐点だったと思えるような記念すべき1年になるはずです」とあった。ね、そういうことになっているわけです(笑)というわけで今年もよろしくお願いいたします。

 

2012-01-01

お餅のために火鉢登場 。今年で51歳。「ちょっと前の話」が25年前のことだったりする。気がついたらこの日記は今年で10年目。ワークショップも10年目。もうこうなると今年の抱負とか意気込みとか言わなくてもいいような気がしてきた。こういうの年の功って言うんだろうかね。今年決まっていることは年末に写真集を出して写真展をやるということくらい。数年来撮っている米沢や青森をベースに、新たに撮影したもので構成する予定だ。さっそく来週から撮影に出かける。ネパールの写真も展示するつもりだ。企画展やグループ展にも参加する。海外にも行きたい。ネパールも再訪するつもりだし南の島にも行きたい。今年も写真を撮って生きていけたらそれだけで幸せ。2012年もボチボチとゆっくりと焦らず写真の周りをぐるぐるします。どうぞよろしくお願いします。

 

2013-01-01

静かに2013年が開けました。今年は東京での新年です。毎年大晦日に自分の日記を見返すのが恒例となっています。過去10年分の新年の挨拶を見ていると、その年その年の抱負が書かれていてその変化が面白いものです。10年一昔前といいますが、日記を始めた頃からは想像もつかない時代です。「もう日本はお終いだ、早く日本を脱出したほうがいい」と言う人もいます。でも僕は楽観的過ぎると笑われるかもしれませんが、段々良くなる方向に進んでいると信じています。東京の大晦日のスーパーや新年の神社には、ここ数年とは違った空気が流れていました。東北はどうなんでしょう。個人的には昨年出した写真集『da.gasita』をたくさんの人に見てもらうために動いていきます。手始めにサンタフェのレビューに申しこみました。6倍の競争率なので、もし洩れたら別の場所を探します。今のところサンタフェ以外に海外に行く予定はありませんが、国内は東北以外も考えています。今年もたくさんフィルムを使って、たくさんプリントします。ワークショップは6月でいよいよ10周年です。3月と9月はワークショップのグループ展。個展の予定はありませんが、どこかで展示をしようと思います。今年が皆様にとって良い年でありますように。僕も明日に向けて頑張ります。

 

2014-01-01

2014年になりました。あけましておめでとうございます。今年で53歳。昨年は初めて歳をとったなと感じてしまった。ヨロヨロ、ヨタヨタ、階段の上り下りにゼイゼイ。鏡を見れば知らない人がそこにいる。はああ。体力戻すまではいかないまでも現状維持をなんとかしないと始めたスクワットは意外と効果があった。ような気がしないでもない。でもまだ夜行バス13時間は平気だし、山道も歩けるから写真を撮るには問題ないからいいか。今年は12月に2年ぶりに個展をやる。でも何をやるかはまだ決まっていない。モノクロなのだけは決まっているけど。たくさん撮ってたくさん焼いてから決める。ずっと「どこかの誰かが自分の才能を見つけてくれて、いいようにしてくれないかなあ」と思っていたけど、この歳でようやくそんなこたあないと分かってしまった。物事は突然生まれない、全てのものは繋がっている。それを唱えて生きてみます。皆様よろしくお願いします。今年は何か局面が変わる気がするんだよな。

 

2015-01-01

あけましておめでとうございます。お雑煮は米沢と東京が混じった味。昨年は屋久島へ行った。車を手放して自転車を新しくした。カメラはdp2とdp1。そして2回も入院。最悪かといえば年末に写真集が出せたのでプラスマイナスゼロ。人生思い通りにならないし、いいも悪いも想像もしないことがおきる。そういうもんだ。ああ、人生いろいろ。今年は『prana』を海外に持っていく。『traverse』の時は、ヨーロッパへ、『da.gasita』はアメリカへ持っていった。そして想像もしないことがおきた。まずは今年3月、香港のブックフェアに行くことが決まった。ヨーロッパにも持っていきたい。写真集はいつも別の世界に僕を連れて行ってくれる。そして新作も作っていかないと。もう2016年の展示も決まっている。ワークショップは今年で50期を迎える。49期は現在募集中ですよ。ジタバタしないで続けていきます。香港行きにむけて英語の勉強を続けて、鈍りきった体も鍛えないと。まずは1月9日より、中野ギャラリー冬青でお待ちしております。

 

2016-01-01

「おお田」のおせち。妻の実家の黒豆。土鍋でお雑煮。大晦日は大掃除というか、模様替え。何をしたかというと、ついに自宅に暗室を作ってしまった。29日に元アシスタントのWが、彼の使っていなかった引き伸ばし機ラッキー45Mを自宅に運んでくれた。そこから大改造が始まった。一階に小さな流しのあるスペースがあって、以前から暗室ができるんじゃないかと狙っていたが、妻には一蹴されていた。当然だ2Bには暗室がすでにあるのだから。もちろん大事なプリントはそこでやるのだが、なんというか、わざわざプリントしにいくのではなく、いつでもやれる環境にしたかったのだ。せいぜい六つ切くらいしか焼けないだろうし、もしかしたらほとんど使わないかもしれないが、常にやれる環境にいたいのだ。と、妻を刺激せず、穏やか~に説得したのだった。今年で55歳になる。写真を始めたのが16歳だから40年もやっていることになる。次第に慣れが出てくる。ああしたら、こうなる、だから撮っても無駄だと考え始めるようになる。そして段々と撮れなくなってくる。今年は「写真小僧」に戻りたい。分かったふりをしないで、今以上にヒタヒタにどっぷり漬かりたい。昨年は変わり目の年だった。目には見えないものの大きく流れが変わってきたのを実感した。今年はそれを受ける年だと思う。「やりませんか」ということに関してはできるだけ「はい」と答えていきたい。まずは1月は8日から30日まで新中野ギャラリー冬青で写真展Demain(デュマン)」が始まる。 毎年口開けをまかせてもらえるのはとても光栄だ。鏡を見ると年をとったなあと感じる。でも体力気力はまだいけるとも思える。今年もたくさん写真を撮ってプリントして、写真を見て、そして見せてという年にしたいと思っています。皆様よろしくお願いいたします。

 

2017-01-01

あけましておめでとうございます。とても良い天気。昨年は写真展「Demain」に始まり写真集『demain』に終わった一年。ずっと長い間やってみたかったことが形になりました。次は何をやるのかというと、さっぱり決まってないわけです。いつもそう。『da.gasita』のときも『prana』のときも、次はどうしようかと思ってました。残念ながらこぼれ落ちるように作品ができる、といった天才ではないようです。ということでまたしても今年はモヤモヤ期。どうなるか自分でも分かりません。頼んでいないのに今年で56歳。55歳までと、その後では感じ方や考え方がまったく違ってきて驚いています。この歳で次の展開がまったく読めないのもどうかと思うのですが(笑)。流れから見て、どうやら今年は変わり目の年のようです。 1年いろいろあるでしょうが、最終的に良い年になることを期待しています。また来年も「笑ってお正月」が迎えられますように。『demain デュマン』はフランス語で「明日」

 

2018-01-01

紅白はエレファントカシマシがよかった。2000年から始めたこの日記はもう18年目。その時々の出来事を綴っていたらなんとなく流れというものがあるのに気がついた。美術でいうならコンテクストだな。昨年のお正月の日記を見ると「流れから見て、どうやら今年は変わり目の年のようです。1年いろいろあるでしょうが、最終的に良い年になることを期待しています」と書いていた。ばっちり当たっていた。昨年はまさに変化の年そのものだった。24年間借りていた事務所ビルの建て壊しにともない、今年3月をもって2Bは終わることになった。大家さんに聞かされた時はさすがに驚いた。でもそういう時期なんだなとあっさり納得。ワークショップは続けていくけれど、2Bという名前はもう使わないで、新しいことを新しい場所で始めることになる。半年間の東大での講座も、変わり目の年を象徴するものだった。2013年から考え続けてきた「現代アートってなんだ?」に自分なりの答えを出すことができた。だからといって、自分の写真が変わるわけじゃないんですけどね(笑)「流れから見て」今年は必ず良い年になる。ただの直感ですけどね。でも僕の直感はよく当たるんです。新年5日からはギャラリー冬青で写真展「2Bとマンデリン」。できるだけ会場にいます。小さなモノクロプリント30枚の展示です。3月は アートブックフェア香港 。3回目の参加。アートバーゼル香港を見に行くのも目的のひとつ。5月は 屋久島ワークショップ。4日間合宿式のワークショップ。朝から晩まで写真漬け。屋久島には毎年縁がある。今回で6回目だ。7月は アルルフォトフェスティバル。4回目のアルル。知り合いも増えて懐かしい場所になりつつある。今年もよろしくお願いします。

 

2019-01-01

いい天気。穏やかなお正月。元旦から銭湯に行ってきました。今年で58歳になります。18歳で東京に出てきて40年もたつんだな。もう実質的に職業カメラマンとしての仕事は終わったと言ってもいい頃です。つまり23歳から35年間「役にたつ写真」を撮って生きてきたわけだけど、これからは「役に立たない写真」で生きていこうと思っています。4日から始まる冬青での写真展案内文が今の気持ちそのものです。今年もよろしくお願いいたします。あ、今年やりたいことがひとつあって、それはウクレレ旅をすること。小さな忘年会でラオスがいいんじゃないかということになりました。

「IN and OUT」1月4日からギャラリー冬青

右があれば左もある。
晴れている日もあれば、雨が降っている日もある。
うまくいくこともあれば、途方にくれることもある。
出会う人もいれば、別れる人もいる。
外に出たい日もあれば、家でじっとしていたい日もある。
何かが撮りたくて撮るんじゃなくて、
撮るために何かを探すことだってある。
何かを伝えるためじゃなく、
自分でもよくわからないけど撮ったもの。
何かを写したものじゃなくて、何かが写っているもの。
役割を持たされた写真じゃなくて、写真が写真である写真。

そんな写真を撮ってみたい。

 

2020-01-01

年末は疲れからダウン。結局最後の2日間は寝込んでましたが、元旦はすっきり。良い年を迎えることができました。未編集の『2BChannel』インタビューが2本溜まっているけれど、それは明日以降にして、今日は家で一日ウクレレ 弾くことにします。「グアバジャム」というハワイアンを練習中。昨年はちょっと忙しくしすぎました。あちこちに種を撒いた感じ。今年はアルルに行くことになっているし、地方にも積極的に行きます。正月明けから全開です。1月8日の水曜日からは、ギャラリー冬青で写真展がスタートします。冬青では11回目になります。毎週水曜日は21時まで開いていますので、仕事帰りにお越しください。今年も「渡部さん、いったい何がやりたいんですか?」と言われるくらい、いろいろなことをやっていきます。

 

2021-01-19

2021年になりました。気がつけば3ヶ月ぶりの投稿です。あけましておめでとうございます。というのもはばかられる時期になってしまった。現在は個展開催中のため、毎日「ギャラリー冬青」に通っている。非常事態宣言が出るかどうかで大騒ぎしていた1月8日からスタートして、1月30日まで。タイトルは「銀の粒」これ以上ないっていうくらい、曖昧なタイトルだ。「ギャラリー冬青」が始まったのは2005年。僕が初めて展示をしたのが翌年の2006年。以来、毎年1月に個展をさせてもらっている。実は、冬青は2021年12月で終わってしまう。だから僕がここで展示できるのもこれが最後。初の展示が終了した日、冬青の社長から「これからは毎年やってください。いい時もあるでしょうし、悪い時もあるかもしれない」「でもずっと続けていくことを覚悟してください」と言われたのを覚えている。今まで、ここでいろいろなことをやってこられたも、この言葉があったから。「よく分からないけどやってみよう」という年があり、それをまとめる年もあり。モヤモヤ期とスッキリ期が交互にやってきた感じ。結果的に15年間で12回の展示と4冊の写真集にまとまった。我ながら恵まれているといつも思う。今回は、最後にふさわしく「まったくまとまりのない」展示になっている(笑)。でも、やりたいと思ったことをやっているので、会場にいてもすごくスッキリしている。毎年、必ず在廊しているけど、落ち着かないことがほとんど。でも今回は本当に楽。ちょっと心苦しいのだけど、自粛期間にもかかわらず、たくさんの方が来てくれている。その中で「いつも2BChannelを見ています」という方が本当に多くて驚いている。もうすぐ登録者数9000人で、ありがたくも1万人目前になってきた。始めたときに目標にしていたのは登録者数1万5000人。これは、カメラ雑誌の実売数がそのぐらいなので、そこをかなり意識してのこと。1万5000人の登録者がいるということはメディアになれることだと思ったのだ。昨年はYouTubeに注力したため、この「写真日記」はずいぶんおろそかになってしまった。僕はあることをし始めると、そればかりに集中してしまうところがあって。ブログのことはずっと気になってはいたんだけどね。今年はちゃんと更新しようと思っている。どうぞよろしくお願いします。