年越しはコタツでゴロゴロ

朝 焼きベーグル、ベトナム風野菜スープ

夜 キムチと豚肉の炒め、クミンポテト、ナムル、玄米、味噌汁

大掃除は特になし。なぜなら毎日1時間くらい掃除を日課しているから。自宅の和室がまったく機能していない。妻と二人だから食堂か寝室か、もしくは仕事部屋しか必要ない。でも年末はコタツでゴロゴロしてテレビを見たい。ということで、模様替えに2時間かける。

さて2021年を振り返ってみると、今年は映画をたくさん見たし、動画もたくさんつくった。撮影よりも配信の方がメインで本職がなんだかわからない年だった。

<1月> 正月明けからすぐにギャラリー冬青で『銀の粒』開催。毎年1月は冬青で写真展というのが恒例になっていた。しかし冬青が2021年で終了ということで「これが僕の冬青での最後の展示です」といろんなところで言っていたが、なんと2022年の12月まで、1年間延期ということになった。来年は5月にやることに。20歳の時からずっとキヤノン党だったが、5D3とレンズ一式を売り払ってパナソニックS5に20−60ミリレンズを購入。スペック的には最強だが実際使ってみると不満が出てくる。

<2月> 暖冬だった。毎日2B Channnelの編集をしていた。もう少しで登録者1万人になるというモチベーションがあったから。2月の後半から毎日日記をつけるようになる。何がきっかけだったかは忘れてしまったけど。

<3月> 劇場公開用映画の現場にスチールカメラマンとして入る。たった5日間だったが朝から晩まで現場漬け。カメラはソニーのα9Ⅱをメインで使う。圧倒的なAF速度と高速連射。パナソニックS5はメイキング動画用に使用するも、慣れない撮影で失敗もあった。3月26日に還暦に。不思議な気分。30歳の頃に思っていた60歳とは違っていた。

<4月> 松本市の仕事が始まる。年4回通って小冊子を作る。観光パンフレットとはまったく違ったものを目指すことに。その中で17歳を撮らせてもらう。動画でのインタビューも。11月のルデコ展示に向けて学生を15人集める。2BChannelで『写真学生』シリーズスタート。

<5月> 今年見た展示で最も記憶に残っているのが石川竜一『いのちのうちがわ』。写真集とプリントも購入。玄米食を始める。白米しか認めていなかったが、意外と美味しい。小麦パスタもやめて玄米パスタに。講座配信に伴ない、17時半にご飯を食べる習慣ができる。

<6月> 家の壁にペンキを塗る。うまくいったので次々と壁を塗ることに。「サントリーオールドを飲む日」がやってきた。上田義彦の映画『椿の庭』を観て庭先で金魚を飼う。毎週金曜日は暗室の日。インスタ再開。湯河原に一泊して「江ノ裏測候所」に行く

<7月> 玄米食を続けていたら、いつの間にか体重が64キロから59キロに。この年で痩せると心配されることがわかった。「シンエヴァンゲリオン」の衝撃。初めてエヴァを見た。あまりのことに、過去作を1週間で見れるだけ観て、翌週に再び映画館へ。それがきっかけで、毎週月曜日は映画の日にすることにした。学生たちとの温度差に戸惑う。今までに経験したことのない空回り感。

<8月> 八戸オンライン講座。来年は現地に行きたい。『2BChannnel』2周年。登録者数は1万人を超えた。毎週水曜にライブ配信を続けている。ワクチン接種。2回とも副反応まったくなし。映画『アーヤと魔女』を2回観た。ジブリで一番好きなのは『紅の豚』だけど、一番面白いのは『アーヤと魔女』。コロナ感染者増大で撮影が吹っ飛ぶ。8月から過去日記も一緒に載せるスタイルに。

<9月> お茶の水の「バウハウスギャラリー」で「ユージン・スミス」展。こんなすごいプリント、滅多にお目にかかれない。ジョニー・デップ主演『MINAMATA』を観る。primeVideoのアニメ『Sonny Boy』が面白い。ひょんなことから写真集制作の手伝いをすることに。人の写真を僕がセレクトして組んでいく。次第に自分の本を作っている気になってくる。

<10月> 「リコーGR3X」を手に入れる。40ミリの画角が今の自分にフィットして抜群に使いやすい。毎日持って歩く。京都グラフィへ2泊3日。松本の撮影再開。土日は美術史講座の配信と学生との面談、水曜日はライブ配信、打ち合わせや撮影で予定が埋まる。

<11月> プロジェクター購入問題。すったもんだで結局エプソンに。ルデコジャック。今年も無事にグループ展が開催できた。ずっと心配だった学生フロアはとても評判が良かった。アニメ『ゴールデンカムイ』にはまる。ギャラリー冬青に別館ができる。最後の「キヤノン新世紀」。松本市撮影。

<12月> 松本市の写真集と、手伝っている写真集が同時進行で打ち合わせが続く。初稿が上がり方向性が見えてきた。どちらも来年2月に出来上がる。プロジェクターが来てからは映画館に行く回数は減ってきたが、それでも月2度くらいは足を運んでいる。小林紀晴監督『トオイと正人』がよかった。やたらと電気製品が壊れる。立て続けに修理に出す羽目に。新品で買ったものの初期不良に引っかかる。年末ギリギリまで『2B Channnel』の編集に追われる。prime Videoで観た『浅草キッド』に感動。

今年やってきたことが形になって、来年は今までの状況とちょっと違ったものになりそうな感じがする。61歳も「転がる石」でありたい。

2011-12-31

暗室の大掃除は来年に持ち越し。2週間ネパールに行っていたせいか、いまだに年末の気分になれない。
1月 青森に行った。 
2月 青森に行った。文化庁の面接があった。
3月 地震があった。その3日後、文化庁から落選通知が届く。10日後無理をおしてルデコでグループ展。
4月 宮城、青森に行った。
5月 写真展のプリント。
6月 冬青で『SilentShadow Aomori2011』 
7月 『旅するカメラ4』の原稿書き。
8月 いつまでたっても原稿が終わらない。
9月 『旅するカメラ4』出版。4年ぶりの新作。ルデコグループ展。
10月 ぼーっとする
11月 ぼーっとする
12月 ネパールに行った。

去年の今頃は頭の中は「アメリカ」でいっぱいだったな。10年後になって2011年はどんな年だったと思えるんだろう。もしかすると「あの年が転換期だった」なんてことになるのかな。

毎年初詣でお願いするのははひとつだけ。「来年も笑ってお正月を迎えられますように」。いろいろあった1年だったけれどこうして大晦日を迎えられて良かった。皆さまもどうか良いお年をお迎えください。

2012-12-31

1年分の日記を見返した。

1月 山形、福島へ。
2月 突如M9が欲しくなるが、すぐに冷める。秋田、山形へ。写真集始動。
3月 仙台から陸前高田まで三陸行。51歳になる。ワークショップグループ展。
4月 マキナ67修理。撮影用LED照明とか、Eye-fi+アドホックとか細かい機材に凝る。
5月 インドネシア バリ島からスンバワ島へ。10年ぶりの南の島。バイクでこけて左足負傷。マジックマッサージで復活。
6月 写真集タイトルが『da.gasita』に決まる。毎日インドネシアのプリント。手書きの日記を始めたが2カ月でうやむやに。
7月 写真集色校正ができあがる。ワークショップで大判を使う。その後ディアドルフ810がやってきた。
8月 自宅ガレージでエイトバイテンを使って撮影。自転車で暗室に向かいすぐに現像してプリント。
9月 『da.gasita』完成。表紙はさくらんぼ色。ワークショップグループ展。大型カラープリントプロセッサーCP51を新品で購入。忙しくてぎっくり腰寸前に。
10月 昨年に続きネパールへ。10か月で大きく変わっていた。ワークショップ41期を募集するも、なかなか集まらず。ついに定員割れ。毎日写真展用のプリント。
11月 ギャラリー冬青にて写真展「traverese2012」。毎日会場入り。26枚のプリントが売れた。
12月 日記が10周年。古代文字を始める。石油ストーブで煮たり焼いたり。暗室大掃除。

1月から3月は毎週東北へ行っていた。5月はインドネシア、10月はネパールへ。今年はほとんどデジタルカメラを使わなかった。個人的な撮影はフィルムばかり。真夏のエイトバイテンが印象的だが、そのほかはほぼローライ。フィルムはトライX。印画紙はずっとADOXだったが、新しいオリエンタルを試したらかなり良かった。新しいカメラは買っていない。でもCP51をAmazonで新品で購入。CP31やLPLの大型引き伸ばし機も。暗室に入る日が多かった。なんといっても大きいのは写真集『da.gasita』が出たことだ。誰もが驚く印刷のクオリティティ。自分でも驚いた。年明けから「公園写真館」の立ち上げを手伝う。ワークショップは41期に。6月に10年目を迎えた。スンバワ島で怪我をしたものの、他は健康ですごずことができた。来年もよろしくお願いいたします。