石油ストーブの上でポットのお湯が沸いている音というのはいいものだ。

月曜日に郵便局に行ってEMSでアムステルダムにプリントを22枚送った。

今年パリにプリントを送った時にフランス税関でストップしてしまい、先方が受け取れるまで10日以上かかった。

商品見本という名目で送るのだが、紛失をおそれてつい保険金をかけてしまいたくなる。しかしそうすると税関が黙ってはいない。輸入商品になり税金がかかるのだ。

そこはグッと我慢して0円で申告する方がスムーズに届くようだ。インボイスという発注表のコピーをもらうことも忘れずに。

とりあえずこれでアムステルダムの展示準備は終了。あとは2月に現地に行ってオープニングパーティに出るだけ。すでにエアとホテルは取ってある。

気持ちがちょっとスッとした。

月曜日の夜は六本木アートカレッジでの「新フェルメール論!?〜名画誕生のアルゴリズムに迫る〜」を聞きにいった。

フェルメールといえば17世紀のオランダの画家。出身地のデルフトの美術館には「真珠の耳飾りの少女」があるというので見にいったことがある。

思っているより小さな絵で、それが何のガードもなく無防備に展示されていて驚いた。ガラスは入っていたが、眼前数センチのところで見ることができる。

真珠と言われている耳飾りの輝きは一筆でサッと描かれていた。もっともあんなに大きな真珠は当時王様くらいしか持てなかったから、ガラスかもしれないそうだ。

講座は目白大学の小林頼子さんと東京藝大の鈴木理策さんのおふたり。描かれた絵を画角という点から捉える試みが面白かった。初期の広角レンズを使ったようなパースペクティブから、後期は望遠レンズで見たものへと変化していく。広角レンズでは迫力を出せるし、望遠レンズを使えば調和を出しやすい。

画角の変化がなぜ起きたかといえば、フェルメールが積極的にチョイスしたのではなく、オランダ経済が密接に関わっている。これが今回の講義の一番のポイントだった。

美術史を見て行くと、それが単独ではなく常に経済と密接な関わりを持っているというのが分かる。「誰がスポンサーなのか?」は、現在でも同じ。

アメリカのアーティストは何で食べていて、ヨーロッパのアーティストは誰がスポンサーなのかを考えると、両者のアートに対するアプローチの違いを説明することが可能だ。

公的な資金と個人資金。そのどちらが自分のスポンサーになりえるか。フェルメールの時代とその辺はまったく変わっていない。

もうひとつ面白かったのは、フェルメールはいわゆる「マスオさん」。妻の実家は裕福で同居生活。年収はコンスタントに600万円から800万円だろうということ。有力なスポンサーがついていて一枚あたり200万円から400万円くらいで売っていたと考えられているそうだ。

中々いい生活を送れていたんじゃないだろうか。