こんな寒い日はアサリ鍋。

毛利さんが亡くなったというニュースが流れると、昔の友人達から次々と連絡があった。

「とにかく誰かと話がしたくて」皆が同じことを言う。大分に行ってからの毛利さんのことは誰も知らない。たまに出る彼の本が唯一のつながりだった。

「『家栽の人』から君への遺言」には、毛利さんは一時期年収が8000万円以上あったと書かれている。間違いなく成功した作家だ。

でも横で見ていた僕は、成功した毛利さんはそんなに幸せそうに見えなかった。成功と幸せは別物なのかもしれない。

毛利さんの最後のインタビューがある。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151124-00046513-gendaibiz-soci

最後まで少年法と関わり、人の幸せとは何かを考えていた。

僕が40歳の時、仕事である大富豪の自宅を訪ねたことがある。戦後リアカーを押して上京し、苦労の末に世界規模の会社を作り上げ、一代で巨万の富を得た。数十人のメイドや執事に囲まれて暮らす王様のような生活。夢のような御殿にそれを彩る宝飾品。成功の極みがそこにあった。それなのにそこの主人はは70歳を過ぎて結婚がしたいという。

「金もある、地位もある、名誉もある。でもな愛がないんだ」

目の前には専属の板前が作ったご馳走が並んでいる。なのにそれを見ようともせず好物だというカレーパンをひとつだけ食べていた。美食を尽くしたであろう人の、最後にたどりついた「おいしさ」がカレーパン。おそらく味の問題ではなく、若かった頃の記憶を食べているようなものだったのだろう。王様は寂しそうだった。

その時、喉元まで出て飲み込んだ質問があった。

「あなたが幸せだったのはいつですか?」


「明日よくなる」という言葉がある。今日より明日がきっと良くなると「信じられる」時、人は幸せだと思うのだそうだ。成功したときよりも、成功への過程で幸せを感じる。そして成功した瞬間にそれは離れていってしまう。ならば成功なんて求めなくてもいいんじゃないか。

自己実現とか成功というフレーズがSNSの広告で氾濫している。そんなもので幸せにはなれない気がする。

普通に生きて死ぬことで十分じゃないか。でもそれが一番難しいということは、誰でも生きていれば嫌でもわかってくる。