雑誌「デジタルフォト」のパーティがあった。おめでたいパーティではなく、休刊ご挨拶のためのものだ。次号をもって最終号となる。
20年前、雑誌ブームの頃はイケイケ創刊パーティが多かったが、近頃は長く続いていた雑誌のシミジミ休刊パーティが多いな。
「デジタルフォト」には昨年本誌表紙や別冊を含めて3回掲載してもらった。作品を多く取り上げてくれるということで、ここ最近写真家から人気が高い雑誌だった。販売も堅調だったが、出版元のソフトバンクが雑誌事業から手を引くということで惜しまれながらの休刊となった。これで多くの写真関係者が仕事を失ったことになる。
老舗写真誌に「アサヒカメラ」と「日本カメラ」があるようにデジタル写真誌では「デジタルフォト」と「デジタルカメラマガジン」があった。「デジタルフォト」の編集長は今後は「デジタルカメラマガジン」の編集に参加するということだった。
彼のことだから「軒を借りて母屋を乗っ取る」くらいのことは十分考えているだろう。
パーティは盛大なもので多くの写真家やメーカー関係者が多く集まっていた。こういう場所はかなり苦手だが、大人としてご挨拶もあるし、少し積極的になろうと思うのだが難しいね。どうしても知っている人とばかり話してしまう。
昨日会話の中でおもしろかったのは横木安良夫さんが「近頃若い人が写真を選べないってよく悩んでいるけど写真始めて1年や2年で選べるわけないよね。それにデジタル時代になって簡単に撮れるようになったけど、誰も撮ったものを理解しないうちに次次撮ってしまうから貯まる一方で後から見返したりしてないよね」
銀塩時代はまず撮影段階で確認ができないから何が写っているかわからないし、フィルム現像でムラが出たり、傷や埃がついていたり、濃度があっていなかったりと満足にプリントできるカットなんて1本に2,3枚あればいいほうだった。だから30本撮ったところで完成プリントまで持ちこたえることができるのはわずか。そこから選ぶのは、母数が少ないからそんなに大変な作業ではなかった。
フィルムと印画紙という「枠」があったおかげで表現は制限されるけれど、発想や展開は楽だ。なんでも自由というのが一番やっかいだと思える。
なぜ未だに自分がフィルムと印画紙を使っているのかを考えていたら、「枠」をもとめているのではないかという結論になってきた。