今年の仕事納めは27日。モデルで女優でアーティストのkikiを、丸の内のミレナリオで撮った。
彼女はミレナリオを撮るためにライカを持ってきていた。茶色のストラップがきれいだな、と思っていたらボディ革も茶色だ。
「もしかしてエルメス?」と彼女に聞いたら恥ずかしそうに小さく頷いた。「買ったばかりなんです」
初めてエルメスライカを使っている人を見た。
エルメスライカは、ライカ社がエルメス傘下に入った記念バージョンとして作られた、M6MPの外革とストラップをエルメスが貼った特別モデル。発売当初なんと130万円もした。ボディの値段が30万円くらいだからエルメスの革だけで100万円する計算になる。
ショーウィンドウで鎮座するエルメスライカは偉そうな感じだが、彼女の手の中にあると馴染んで見える。
使う人のセンスがいいと似合ってしまうんだな、と勝手に納得してしまった。僕はといえばセンスのかけらもないEOS5D。でもなんでもよく写る。
夜の撮影で身体が芯まで冷えた。今年の冬は寒い。毎年言っているセリフだけどね。
仕事が終わると新宿へ。写真家と、その関係者が集まる忘年会。鬼海弘雄、横木安良夫を筆頭にした「写真に命かけた」酔っ払いの集団だ。
鬼海さんが酔っ払いながらこう言った「さっとる君、写真ってものはねえ、不自由なんです。写らないってことをちゃんと受け止めなくてはいけないんです」
この頃、「なんでもできるは、なにもできないと同じ」と感じていた。便利な道具を与えられると、目の前のものを消化することなく写してしまう。新しいデジタルのおかげでなんでも撮れる気がしてくる。
旅に行っても、なんでも撮れるものだから、自分の見たもの全てを誰かに見せようとしてしまう。結果出来上がったものは観光案内写真となる。
不自由なフィルムカメラを使うと、撮れないものがたくさん出てくる。でも反対になんでも撮ろうとはしなくなる。目の前の出来事をカメラを通して咀嚼する行為が生まれてくる。
鬼海さんの話を聞きながらそんなことを思っていた。鬼海さんの言葉は哲学書のようだ。彼はず〜っと写真のことだけ話してした。
僕は物を食べているときと、身体を動かしている時と、寝ているとき以外は写真のことを考えているが、鬼海さんは寝てても写真のことを考えていそうな人だ。