コラムvol87「OM−1」その1下に続く

中古カメラ屋をひやかしていると、棚の下のほうにあやしく光るものがある。ブラック仕上げのOM-1nだ。驚いたことにピカピカで使用した形跡がまったくない。

見せてもらおうと声をかけると、店員が白手袋をしてうやうやしくショーケースから取り出した。こちらには触らせてくれない。「シャッターを切ってみて」と頼むと「何秒がよろしいですか」と聞いてくる。「それでは1秒で」とお願い。店員がおもむろに巻上げレバーに手をかけ、シャッターを押す。まるで茶道のお手前のようだ。

「ジーーッチャ」と軽快な音がする。音にゆれがない。正常に動いている。次は30分の1秒「カシャアンン」と余韻を残したOM-1の独特の音。これもOK。

見れば見るほど美しい。箱も取扱説明書もオリンパスファンクラブ入会案内書までついている。保証書には1985年ヨドバシカメラ購入とある。一度買ってそのまましまわれていたカメラだということだった。修理表によると一度シャッター、メーター関係のメンテナンスとオーバーホールに出してある。まったく申し分のない素性のカメラだ。

ボディのほかには35ミリf2と85ミリf2の2本のレンズがついていた。これらは完全な新品。全面マットのスクリーンまである。セットで値段は10万5千円。ひさびさの衝動買いだった。

同世代のカメラマンに、手に入れたオリンパスOM-1を見せると、皆なつかしそうに目を細める。彼らの多くが最初に買ったカメラはOM-1だった。20年ぶりに見るOM-1に写真を始めた頃の自分をだぶらせているようだ。そういう僕も、OM-1が全ての始まりだった。

25年以上前のこと、「この135ミリ。エッこれが200、ウーム」と望遠レンズを持った坊主が驚くCMがあった。坊主にカメラというユーモラスな組み合わせは、「オリンパスOM-1」と言うカメラを強く印象づけるのに十分なインパクトだった。当時僕は13歳、1974年のことだったと思う。

一眼レフといえば大きくて重くて値段が高くて、というのが当たり前の時に、小さくて軽くて、なおかつ精密に作られたと一目で分かるデザインと仕上げは、OMショックと呼ばれるほどの衝撃を業界に与えた。以後カメラの小型軽量化の波は、あっという間に各社に広がることになる。