コラムvol87「OM−1」続きその2

OM-1という一台のカメラの背後には、フィッシュアイレンズから超望遠1000ミリまでの交換レンズ、充実したマクロ撮影アイテムや接写用の顕微鏡天体望遠鏡のアダプター、専用ストロボ、まだ一般的ではなかったモータードライブと、システムカメラと呼ぶのにふさわしい600点を超す膨大なアクセサリーが揃えてあった。数年後TTLダイレクトオートという世界初の機能を持ったOM-2が加わることによって、システムはより確固たるものになる。カタログ一面に広がるアクセサリー群は、OM-1と言うカメラを手に入れることによって、無限に広がる映像の世界を自分の物にできることだと思わせてくれた。

カタログを幾度となく眺め、値段も全て暗記した。ボディ定価4万8千円。ブラック仕上げは5万3千円。50ミリf1.8レンズ1万8千円。高校入学の時にOM-1は自分のものになった。欲しかったブラックボディは5千円の差額を出せずクロームボディになったが、それでも手に入れた時の興奮はいまでも忘れない。銀色に光る梨地のクローム。金属の持つ冷たさは精密機械を扱っている気にさせた。レンズを飽きることなく取り外し、付け直し、カチリと寸分の隙もなく噛み合うのを楽しんだ。

とにかく小さい。レンズを交換できるカメラとして小型軽量とされるライカM型と比べてもまだ小さい。ところがバルナックタイプのライカと比べるとそのサイズは驚くほど似通っている。幅、厚み、高さ(プリズム部の三角屋根の高さはのぞく)は、測ったように一致する。一説によれば、手になじむ大きさを追求するとこのサイズになるということだが、設計者がバルナックサイズを意識して作ったのは容易に想像できる。

僕をここまで写真好きにさせた原因は間違いなくOM-1にある。絞りをきめてシャッタースピードをセット。ピントリングを回しスクリーンに徐々に結像する被写体を、息をひそめて捕らえる。何十年やってもこの行為には飽きがこない。その行為をしっかりと受け止めてくれる機械にめぐまれたことは幸せなことだった。同年代のOM-1使いも、懐かしさもふくめて「いいカメラだった」とまるで昔の彼女をなつかしむように語る。

必要最低限の機能は逆にいつまでたっても古くならない。絞りとシャッターがあれば写真は撮れる。評価測光もオートフォーカスもないから型遅れになる心配をしなくていい。