コラムvol87「OM−1」続きその3

ところが、大学で専門的な写真の勉強を始めると、ニコン、キャノンであらねばカメラにあらずという風潮に出会う。オリンパスペンタックスミノルタを使うものは極少数派で、まるで珍品を見るような目つきをされる。2年間はOM-1とOM-2の2台を使っていたものの、多数派にはあらがえない。3年目にしてキャノンへと乗り換えてしまった。無骨で重くて頑丈そうなF-1。プロが使うものが本物だと思いこんでいた。

OM-2は知り合いに安く譲り、OM-1だけは手放さずに持っていた。新聞社に入ると仕事以外で写真を撮ることは、まったくといっていいほどなくなってしまった。売るに売れないカメラだが、使わずにしまっておくほどのものでもない。そんな時、高校時代からの友人が会社を辞め海外へ放浪の旅に出ると連絡があった。その行動力にあこがれながら、新聞社を辞めることにふんぎれないでいた僕は、餞別としてOM-1とフィルムを友人に渡すことにした。「写真を撮って、金がなくなったらカメラを売って旅をつづければいい」。言葉どおりOM-1はオランダの蚤の市の片隅で、3万円の値がついたそうだ。もしかすると今でもオランダのどこかでOM-1は使われているかもしれない。

ライカやローライやハッセルといったカメラを使うようになった訳と言えば、このカメラを使えば新しい何かを撮れるかもしれない、という気持ちになったからだ。たとえどんな高価なカメラでも、何かを撮れるイメージが湧かなければ僕には不要のものだし、それが5千円のものでも、それを使って撮る写真が具体的にイメージできれば欲しくなる。

ショーウィンドウの中に見つけたOM-1nは、これを持って写真を撮るイメージが充分喚起できた。しかも高校時代買えなかったブラックモデルだったというのは、見過ごして帰れというのはあまりにも無理がある。

デッドストックとして17年間眠っていたOM-1nは、今フィルムを通されカメラとしての役目を果たしている。この頃はモノクロではなくコダクロームを詰めることが多い。お世辞にも切れがいいとは言いがたい35ミリと85ミリだが、うるんだような描写は悪くない。

ライカですら剥き身のままで持ち歩いていた僕だが、OM-1nは大事に布にくるまれてバックに入っている。