グループ展の準備中

来週21日火曜日から渋谷ルデコでワークショップ2Bグループ展が始まる。

3階が55期と56期の修了展「LAST」、4階と5階が今までの人たちが参加する「LAST LEGEND」。

LEGENDってタイトルは自分でつけたのだが、我ながらダサくていい。近頃こういうのが好みだ。

LASTには終わりという意味だけではなく、続くという動詞の意味合いもある。こじつけだが、一旦終わってもう一度始まるという感じ。

今回の参加人数70人近く。統一テーマはなく、モノクロ、カラー、デジタルと手法もバラバラ。それがいい。写真展を目的にせず、手段と考える。だから合言葉は「せっかくだから」。

せっかくだから今回はモノクロをやるとか、せっかくだから今回は買ったばかりのカメラを使うとか、せっかくだから自分でカラープリントをやってみるとか。

何かを伝えるために写真を利用せずに、写真展をきっかけに新しいことをやってみる。手段としての写真を考えてみる。

一生懸命馬鹿馬鹿しいことをやっているのは面白い。その辺を是非ご覧ください。

来週会場でお待ちしております。是非声をかけてください。

妻は島へ。イベントでカレー作ってるらしい。

PHat PHOTO」誌のコンテスト審査で京橋へ。

今度からWEBマガジンになるそうだ。今までは会員限定の雑誌だったから、紙でなくなることには一抹の寂しさがあるが、WEBで広く読まれることになるのだから良いことだと思う。

WEBにおけるコンテンツ無料化を危惧する声をよく聞くけれど、もはや雑誌(コンテンツ)を売って対価をいただくという従来の一対一のビジネスをWEBに期待するのは無理だろう。「風が吹けば桶屋が儲かる」くらいのスパンでお金が戻ってくるイメージではないだろうか。

今回はテラウチマサトさんとタカザワケンジさん(ふたりともカタカナだな)と僕との3人で行った。僕もタカザワさんも3回目の審査だった。

この審査のもっとも素晴らしいのは、毎回違ったゲストふたりを呼んで3人で行うことだ。お互いが何をもってこの写真を推すのか生で聞くことができる。これは相当に面白い。

もう休刊になってしまったが「写ガール」という雑誌の審査を3年ほどやったときにも「PHat PHOTO」誌を真似て毎回ゲストを呼んで審査を行った。人によって写真の捉え方は全然違う。普段聞けないことがたくさん出てきてトークショーみたいだった。

選ぶ写真でその人の性格も分かったりする。タカザワさんが「テラウチさんて本当に優しいですよねえ」と言った言葉に思わずうなづいた。

テラウチさんとは審査やイベントでお会いするくらいなのだが会うたびに「いい人が滲み出ているなあ」と思っていた。

それととにかく質問がうまい。話をするのではなく、聞く方に回ろうとする。

これは相当に人生の訓練を積んでいないとできない。テラウチさんくらいのキャリアがあると、ついつい喋りたがるものだ。話すことなど山ほどあるだろうし、話すほうが気持ちがいいに決まっている。

それをテラウチさんは「教えてもらえますか」という聞き方をする。聞くことを心がけていない人にはできないことだ。

テラウチさんの振る質問にタカザワさんと僕が答えていく。一枚写真の力、現代アートと写真、記号として捉えられる写真など多岐にわたった。

近頃「質問力」の重要性が語られるが、良い質問というのは本当に難しい。知らないことを聞くだけでは良い質問とは言えない。知っていることが前提で、その先の話をしなければ話は弾まない。

ちょっとパラドックスめいているが、良い質問が出来る人は、そのことについてよく知っている人ということになる。

審査を終えても話足りずタカザワさんとドトールへ。ずーっと写真の話ばかりしていた。

中華街には寄れなかったので、東大前の「一番餃子」で麻婆豆腐丼。

今週末で終わってしまうというので、横浜トリエンナーレに行ってきた。通称ヨコトリ。3年に一度開かれる国内最大級の現代アートフェスティバルだ。

みなとみらい駅で下車して横浜美術館を臨むと壁全体に救命ボートが貼り付けられている。馴染みすぎていて窓枠にしか見えない。エントランスには救命胴衣が塔のように垂直に積み重ねられていた。

これはシリア難民が実際に使っていたもので、中国における最も有名なアーティストと言っていい、アイ・ウェィウェィの作品《安全な通行》(2016)と《Reframe》(2016)だ。

3箇所の主会場と2箇所のサテライト会場をパックした入場料は、妻とふたりだと5000円近くする。とはいえ横浜美術館だけではもったいないので妻と協議の結果パックチケットを買おうということになった。

そうやって売り場近くでグズグズしていたら、見知らぬ女性がら「招待券2枚余ってるいるので使ってください」と声をかけられた。

今日はいい日のようだ。ありがたく頂戴する。

会場に入るとインドネシアのジョコ・アヴィアントによる《善と悪の境界はひどく縮れている》が目に飛び込む。竹で編まれたしめ縄をオマージュした巨大なオブジェだ。タイトルから「禍福はあざなえる縄の如し」ということわざを思い出す。

本展に際してディレクターは「小さな個展の集合体で、テーマ分けなどはしていません。展示の間を回り、流動性や多面性、世界の複雑さを感じてほしい」と語っている。

大きなテーマは「孤立」と「接続」、グローバル化が生み出す新たな孤立の出現だ。

非常に強いメッセージ性を持つものばかりで、ひとつひとつ消化しようと試みると疲弊してくる。次第に機嫌が悪くなるのだ。

その中で畠山直哉の写真の大きな展示があって救われるようだった。北フランスと陸前高田の写真だが、前者の方が良かった。まあ比べるものではないのだが。いい写真だなあと思う。

僕は視力に問題があって暗いところでは細かな文字が読めないので展示のテキストはほとんど読まない。音声ガイドを使わないと背景が理解できないのだが、今回はあえて使わずに見てみた。

そういう中でも畠山直哉の写真は入ってくる。もちろん彼の作品を見続けているからだろう。

横浜美術館から赤煉瓦倉庫へ。こっちの方がなんかわからないが面白い。特にChim↑Pomの発案の福島県原発事故による帰還困難区域の内外で展開されているプロジェクト「Don’t Follow the Wind」がいい。

防護服をつけて帰還困難区域に入り、作品を協力者の家々に設置していく。現在では鑑賞不可能。いつ見ることができるかわからない展覧会だ。その様子を360度VR動画で紹介していく。色々な仕掛けが複層的に組み合わされている。

そこから徒歩でBANKアートへ。日産アートアワードを見に行く。グランプリを受賞したのは藤井光の《日本人を演じる》という映像作品。この話が今通っている東大の講座で出ていたので気になっていた。

このグランプリ、映像作品なのだが映像の素晴らしさに与えられたのではなく、ワークショップの記録映像なのだ。

とても引きこまれる展示方法だった。たしかにグランプリ取るだろうな。

ファイナリスト4名の展示も行われているのだが、その中で石川竜一の沖縄の写真作品が他の候補者を圧倒していた。この人こんなに上手かったのかと驚いた。

黄金町まで足を伸ばして見て回ったが、やっぱり興味を引くのは写真作品。


横浜から本郷三丁目へ向かい東大の講座へ。キュレーションの講義が実践的で面白かった。「空間のない展覧会」の企画。

朝から晩まで現代アートの一日だった。

大型カメラという祝福の装置

時間ができるとエイトバイテンという大型カメラで江古田を撮影している。フィルムの大きさはB5ノートくらい(20センチx25センチ)もある。

撮っているのはごく普通の駅前とか商店だ。何か特別なものではない。来年この町を離れることになったので撮りたくなった。ノスタルジーの感情とは違う。

カメラも重いが三脚も重い。カメラをセットし た状態で持ち歩くとバランスが悪くてふらふらする。担いでいると鎖骨にぶつかって痛くなるし、翌日は体がギシギシしてくる。フィルムコストは1枚あたり1600円だ。笑ってしまう。

自分の暗室ではエイトバイテンフィルムの引き伸ばしができないので、プリントはベタ焼きになる。ネガフィルムを直接印画紙に載せて上から光を当てるだけ。

そんな大きなフィルムを使ったからといって仕上がりがとんでもなく素晴らしいかというとそうでもない。フィルムの質が悪かった40年前ならいざしらず、今なら67カメラ(6センチx7センチ)からプリントした方がエイトバイテンのベタ焼きよりずっときれいだ。

つまり仕上がりのクオリティを求めて使っているのではない。

多くの写真家がいまだに大型カメラを使い続けている。軽くて使いやすくて性能がいいカメラが普及しているのにもかかわらず、大きくて重くて使いづらいほうをあえて選んでいる。

そういえば僕がポートレートを撮ろうと思った時も、最新のカメラの方が仕上がりは良いと分かっていながら出来るだけ使いづらいカメラを使おうとする。

ストリートスナップを撮る写真家も目立たないカメラではなく、大きくて使いづらいカメラを選ぶのだそうだ。長いこと路上を撮っている人ほどその傾向にあると聞いた。今なら音がしないカメラもあるのに使おうとはしない。

なぜ多くの写真家は面倒なことを好むのだろうか。そこには現代アートのロジックとは違うものがあるように思えてくる。

「写真家である」と自らを規定するものにとって、カメラは表現に使う便利なツールとして利用しているのではなく、祭事のための儀礼の道具と考えているのではないだろうか。

中国に「賦」と呼ばれる詩の形がある。そこにメロディをつけると唱歌と呼ばれるものになる。小学校で習うやつだ。

「早春賦」
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
氷融け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃

ただただ春の状況を描写しているだけだ。作者の我はそこにはない。この詩はなんのために作られたのか。

春への祝福である。冬が終わり春の到来への祝福の思いなのだ。

賦と写真は似ている。何も足さない、何も引かない。ただそのものを描写する。

もうひとつ

「ふるさと」
兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷

こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷


これはただのノスタルジーなのか?違う、ふるさとの山河を祝福している詩なのだ。失われたものへの追憶の感情だけはない。祈りすら感じる。


そうか、僕が江古田を撮るのも、ポートレートを撮るのも対象への祝福なのだ。

つまり写真家とは祝福を与える人たちのことなのだよ。

そして時にそれは鎮魂であり、祈りとなる。決して対象を呪う装置としては用いない。だからどこか宗教的な要素を持ち合わせているように感じられるのだ。

ただ生きるためではなく、よりよく生きるために儀礼や祭事は必要であり、そこには大がかりな装置が必要になる。簡便な儀礼というものは存在しない。

そう思うとカメラのシャッター音は、お参りのときの柏手(かしわで)と似ている。パシンと響く音が対象への呼びかけとなるのだ。

大きくて重くて使いづらいカメラを使うのは、祝福を与えるための儀式。僕はそう思うことにした。

呪ったり呪われたりして生きていくのは御免だ。僕は頼まれなくとも写真を撮ることで勝手に祝福を与え続ける。

写真を何かに利用したり、呪いの装置にはすまい。僕はひたすら祝福を込めて対象を撮るのだ。

それでいいのだ。

雨の日の木曜日はシンガポールライス。

11月21日から渋谷ルデコで2Bのグループ展である。タイトルは「LAST」それと「LAST LEGEND」。すんごいタイトルだ。3階と4階と5階の3フロアを使う。

グループ展に出す人は、一か月前になってソワソワし始めた。形が見えてこない焦りっていうのは結構しんどい。好きで自ら望んで参加することを決めたのだが、やっぱり直前になると「あー、やめときゃよかったな」と思ったりする。

でもその苦しさは会期が始まると倍増された楽しさに変わるのだから安心するがいいよ。そして展示っていうのは脳内麻薬のようなものが出るらしく、またやりたくなるのだ。写真展はクセになる、と「旅するカメラ」の3巻くらいに書いたよな。

自分の個展は来年1月、中野のギャラリー冬青。ここ数年お正月にやらせてもらっている。毎年僕の写真展で冬青の一年が始まるなんてとても名誉なことだ。

正月早々コケるわけにはいかないのだが、制作は遅々として進まない。いや、努力はしてるのだけれどね。

スタッフからは「早く資料を出してください」とせっつかれる時期になった。タイトル、DMイメージ、テキストを提出し告知してもらわなければならない。

タイトルを何にするか。とてもとても大事だ。いつも2Bではタイトルがその写真展を決めるのだと言っていたりする。

これまで冬青でやった個展のタイトルは「traverse」「da.gasita」「prana」「demain」と英語で頭文字が小文字という共通点があった。抽象的で、意味よりも音を大事にしてきた。語感というやつだ。

まず、この路線を今回は使わないと決めた。

安っぽい歌のタイトルみたいにしたい。なるだけダサくしたい。抽象度は限りなく低くする。説明っぽい部分を増やす。

しかし考えてもなかなかダサくならない。シュッとしてしまう。そこで妻に相談した。彼女は見事にその意図をくむアイディアを出してくれ、びっくりするほどダサいタイトルができあがった。我ながら心配になるほどだ。

でも2018年はこれでいいのだ。そのうち冬青から案内が出るはずだから楽しみにしていてください。

海外に通用するタイトルとロジックに裏付けられたステートメント、しっかりしたコンセプトとストーリーテリングとか、今語られていることと真逆のようなことをしばらくやりたい。

次回はギャラリー冬青でやる9回目の個展になる。

現代アートってなんだ? 2017年に僕が考えたこと②

58期の募集に合わせ、今僕が考えていることをできるだけ分かりやすくまとめてみました。

現代アートってなんだ?  2017年に僕が考えたこと  ②」

写真の世界でもステートメントという言葉は、もはや当たり前に使われるようになってきました。

その概念を写真に持ち込んだのは2007年、大和田良さんだったと思います。近頃では「ステートメント疲れ」なんてことも耳にします。この10年で写真を取り巻く環境は大きく変わりました。

最近では、作品制作のことを「プロジェクト」と呼ぶくらいですから、どこか事業的な匂いがします。そこには明確な目的が存在し、工程や納期までの管理体制が整っているような感じでしょうか。合わせて「リサーチ」という言葉もよく使われます。リサーチはプロジェクトを完成させるには不可欠なものだと考えられていますね。

でも僕はこのプロジェクトという言い方はあまり好きではないので、自分では使いません。

以前、自己とか自我は「社会との結び目」であり、相対的なものに過ぎず絶対的なものではない、と書きました。http://d.hatena.ne.jp/satorw/20170313/1489380173

同じように現代アートでも「個人の感情の表現」なんていう人は今はいないでしょう。自我や自己は出すべきものではなく、積極的に消す方向になっています。

ではアーティストは何を表現しているのでしょうか?
それはやはり社会との関係性なんです。これをソーシャルエンゲージドアートと呼び、現在の主流となっています(全てというわけではないですよ)。
直訳すると〝社会との結びつきの芸術〟となります。

それを表現するためには、制作物(アウトプット)はどんな形でもいいんです。平面だろうが立体だろうが、映像でもインスタレーションでもいい。ダンスやパフォーマンス、場合によっては、ワークショップもアートになります。

2016年に世界で最も権威のある現代アートの賞、ターナー賞(イギリス)を建築家グループが受賞ているのですから。我々が少し前に考えていたアーティスト像とは違ったものになってきているんです。

〝社会との繋がり〟と言ってもピンとこない方もいるでしょう。大変大雑把な言い方ですが、僕はそれを「他者の痛みの共有」なんだと思っています。なぜなら、それを意識するとほとんどの現代アートは腑に落ちるからです。

そのため、「他者の痛みの共有」をプロジェクト化する場合、リサーチ(情報の収集)が必要になってくるのです。この場合とても大事なのは、単なる情報の収集になってはならないということ。「痛み」を共有するにはどのような痛みなのか、その痛みの原因は何かを考える必要があります。

しかし経験したことのない痛みというのは共有しづらいものです。たとえは悪いのですが、急所を蹴り上げられた時の痛みがいかばかりかと、いくら女性に説明しても正確には分かってもらえないでしょうし、分娩の痛みを男性が感じることは不可能です。

痛みですから必ず身体的なものでなければならない。けれども生身の身体を超えるような情報は扱うべきではないんじゃないか、と僕は考えています。

情報をそのまま出すとしたら、それはアートとは呼べないでしょうね。研究発表ではないのですから。

「情報と気配」、僕はこの2つが兼ね備わっているものをアートと呼ぶのだと思っています。どちらが欠けても面白くない。

気配というのは便利な日本語ですね。厳密な意味合いを持ち合わせておらず、各人が持つ身体的センサーの発動とでも言ったらいいのでしょうか。作品の前に立ったときに、思わず声にならない声が漏れてしまうような感覚です。

さて、ドキュメンタリーもその多くが他人の痛みを扱います。では、アートとの境目は何かということになります。

決定的な違いは「線を引かない」ということではないかと思います。アートはある一方の側に立たない。明確な線を引かず曖昧な幅を持たせる。それを表現するために、現代アートの多くは具象ではなく抽象を持ち込むのです。

抽象度を高め、ひとつレイヤーをあげるごとに線は幅を持ち曖昧になる。どの立場からも入り込める余地を残し、排除はしない。僕はこれが理想的だと思っています。

写真と現代アートは、以前のように分けて考えるのは不可能になってきました。2010年を境に大きく変わっていくのを、その渦の中にいて実感しました。

平面で静止画である写真は、映像、立体、インスタレーション、パフォーマンスといったものと同列に扱われるとき、圧倒的に情報量不足だと言わざるを得ません。

印刷メディアと写真は数十年間本当にうまくやってきました。しかし印刷メディアが縮小し、代わりに展示という空間メディアが重要視されるようになってくると写真の特徴は弱みとなってしまいます。

平面で静止している小さな写真を、そのまま壁に置いていくだけでは、これだけ情報にあふれた現在では物足りなさを感じてしまうのです。

1970年代からベッヒャー夫妻は写真をグリッド状に組み合わせることで美術館の壁を支配しようとし、教え子のトーマス・ルフやグルスキーは巨大なサイズのプリントを作っています。ウォルフガング・ティルマンスは壁に大小様々なサイズの写真を貼り付けることで、写真にインスタレーションの概念を持ち込むのに成功しました。

現在のフォトフェスティバルにおいても、メインの展示は例外なくインスタレーションです。巨大なプリントが天井から吊るされて風に揺れ、そこへ映像がプロジェクターで投影される。そしてプロジェクションマッピングすら当たり前のように使われています。もはや従来の写真展の様相は呈していません。

2016年、新装オープンした東京都写真美術館での杉本博司 「ロスト・ヒューマン」展では、3階フロアーには、写真はほとんど展示されず、彼の収集したアンティークが所狭しと並べられていました。その立体物が生み出す過密な情報量は、まさに杉本博司の世界を表していたのです。

「もはや写真展ではない」という声もあったそうですが、現在の流れから見れば当然だとも言えます。平面より半立体、立体のほうが空間の支配力を高めることができるからです。

何かを伝えようとするとき、必ず平面で静止していることに疑問が生じ「それは写真でやらなくともいいのではないか」ということに落ちていくのです。

しかし僕は、平面で静止している写真というメディアが好きなんです。写真はどのように残っていくのかを常に考えています。

未だに明確な結論は出ていませんが「小さくて脆い」というのがキーワードになるのではないかと思っています。これはロジックに裏付けされたものではなく、ただの直感にすぎませんが。

でも写真と直感は相性がいいんですよ。

58期、ラスト2B募集中です。

札幌の講座では写真集販売も行った。「traverse」「prana」「demain」と持っていった3種類の中では最新のdemainが一番人気だった。

その他に「旅するカメラ」の1と3も持って行ったのだが写真集を買ってくれた人が「旅するカメラ4はないんですか、友人の分も合わせて2冊欲しいのですが」と聞かれた。

札幌には売ってないのかなと思って「じゃあ送ってあげる」と安請け合いした。家か事務所にはたくさんあるはずだ。

と思ったのだが、なかったのだ。

事務所の本棚に置いてあるはずのものは、思い起こせば昨年のブックフェアで全部売ってしまったのだった。また仕入れればいいと調子に乗ってしまった。家を探しても一冊もない。

ようやく事務所から一冊だけ見つけたのだが、もう一冊がどうしても見つからない。しょうがないのでAmazonから買おうとしたら、なんと売り切れ。一時的な在庫切れではないようで、マーケットプレイスでは中古が1500円から2500円で売っている。

慌てて検索してみたらどのサイトも売り切れ。翌日出版元であるエイ出版社販売部に電話してみたら「1から4まで、全てきれいに売り切れております。1冊も残っておりません」。

いつのまにか売り切れていたのだ。編集部に連絡して、資料用にとってあるなから1冊だけ分けてもらった。これで義理は果たせるが、手元に残らないことになる。しょうがないからヤフオクで買うしかないか。これからは本屋さんをこまめに見ておかないと。

自分の著作を持っていない人って意外と多いというのを聞いたことがあって「そんなばかな」と思っていたがこの身におきてビックリ。

売り切れるというのは嬉しいのだが、反面売るものがなくなってしまうのはなんとも困る。この出版状況では増刷はないし。

春先に新作を、と張り切って書いたものの、20編書いて頓挫してしまったのだよなあ。

お土産に買ってきたイクラの醤油漬けでご飯。

江古田で開くワークショップもこれで最後になるのか。

58期募集中です。講座で何をやっているのか57期に参加している方がまとめてくれています。読み物としても面白いです。https://goo.gl/gY2z1d

「2Bどうするんですか?」とよく聞かれるのだけど全然決まってない。11月末にグループ展があるのでそれから考えることになる。

もう暗室は無理かなあ。さあ、これが最後ですよ(笑)


札幌の写真の会にお呼ばれしてワークショップというか講演会をやってきた。一度は台風直撃で中止になったのだが、再度機会を作ってもらった。

20数人をお相手になんと講座4時間、懇親会2時間、2次会2時間、計8時間お付き合いいただいた。本当に良い聞き手の方々ばかりで、4時間という時間をまったく感じなかった。

今回は東大の講座で仕入れたプレゼンテーションの方法の一部を使ってみたのだが、手ごたえがあった。小グループを作り、用意したお題を話しあってもらい、それにもとづいて僕が話しを進めていく。自分達の考えに対する言葉なので一方的に話すより盛り上がる。これはいい方法ではないかと思う。

翌日は支笏湖温泉に連れていってもらい気持ちよく東京に戻れた。空港でお土産に買ったチーズやローストポークもおいしくて良い旅となった。

そこへオランダのギャラリーから預けてあったプリントが売れたとメールがあった。

ようやく何かが動き始めた気がする。

ワークショップ2B 58期の募集を開始します 土曜日午前日曜日午前のみの募集になります

58期募集のご案内

2003年より14年間続けてきたワークショップ2Bですが、来春ビルの建て替えに伴い場所を移転することになりました。
暗室を中心にしたカリキュラム、「江古田2B」の講座はこれが本当に最後の募集となりました。是非ご参加ください。ハッセルブラッド、ローライ、ライカなどフィルムカメラの貸出を始め、まったく初めての方でも楽しめる内容になっています。


<日程>
――土曜日(午前の部・午後の部)――
1回目  11月4日 「露出(基礎)について」
2回目  11月11日「屋外撮影(露出の基礎を実践)」 
3回目  11月18日 「暗室作業(前回の屋外撮りのプリント)」 
4回目  11月25日 「室内での小物撮影実習」 
5回目  12月2日 「暗室作業(小物撮影のプリント)」
6回目  12月9日 「座学/写真史について」
7回目  12月16日 「屋外ポートレート撮影」(11時より午前・午後合同)
8回目  12月23日 「暗室作業(ポートレート撮影のプリント)」
    12月30日〜1月5日 年末年始のお休み
9回目  1月6日 「屋外撮影実習/浅草寺」(11時より 午前・午後合同)
10回目  1月13日 「暗室作業(前回撮影のプリント)」
11回目  1月20日 「暗室作業(カラープリント)」
12回目  1月27日 「ビューイング/作家オリジナルプリントの鑑賞」(午前・午後合同)
13回目  2月3日 「座学・まとめ」(11時より午前・午後合同)

――日曜日(午前のみ)――
1回目  11月5日 「露出(基礎)について」
2回目  11月12日 「屋外撮影(露出の基礎を実践)」
3回目  11月19日 「暗室作業(前回の屋外撮りのプリント)」   
4回目  11月26日 「室内での小物撮影」
5回目  12月3日 「暗室作業(小物撮影のプリント)」
6回目  12月10日 「座学/写真史について」
7回目  12月17日 「屋外ポートレート撮影」(11時より)
8回目  12月24日 「暗室作業(ポートレート撮影のプリント)」
    12月30日〜1月5日 年末年始のお休み
9回目  1月7日 「屋外撮影実習」(11時より)
10回目  1月14日 「暗室作業(前回撮影のプリント)」
11回目  1月21日 「暗室作業・カラープリント」
12回目  1月28日 「ビューイング/作家オリジナルプリントの鑑賞」
13回目  2月4日 「座学・まとめ」(11時より)


<時間帯>
●土曜日●
「午前の部」 午前9時30分〜12時30分
「午後の部」 午後13時〜16時
(ただし、7、9、13回目は、午前・午後合同のため11時スタート)
@講座がスタートしてからは、時間帯や曜日の振替えが可能です。
●日曜日●
「午前の部」 午前10時〜13時(7、9、13回目は11時からスタート)
@講座がスタートしてからは、時間帯や曜日の振替えが可能です。
*なお、渡部の仕事の都合により休みとなった際には、講座日程が長引くことがあります。
随時お知らせしますので、あらかじめご了解ください。

<講座料>
1回につき5000円(消費税別)。当日受講後ごとの支払いになります。プリント時の印画紙代はいりませんが、フィルムの購入、現像代は別途となります。
<カメラについて>
*フィルム仕様のカメラ(絞りとシャッタースピードをそれぞれ単独に変えられる)、もしくはデジカメでの参加となります。
フィルムカメラをお持ちでない方は、貸出(無料)もありますので、初回にご相談ください。
*カメラを購入したい方は講座中いつでもアドバイスをいたします。

<申し込み時の要項>
①/住所 ②/氏名 ③/連絡先 ④/所有しているカメラ ⑤/簡単な写真歴
⑥/プリント経験(暗室)の有無  ⑦/希望の曜日・時間帯
土曜日「午前の部」と「午後の部」、日曜日「午前の部」の3つの時間帯がありますが、いずれも内容は同じです。
ご希望の曜日と時間帯をお選びください(日曜日は午前のみ)。
@申し込まれた講座日(日時)で、都合がつかない回があれば、時間帯や曜日(土、日曜日での)を振り替えることが可能です。

<場所>
西武線江古田駅大江戸線新江古田駅より徒歩5分ほどです。
お申し込み完了時に住所と地図をお送りします。
<初回に必要なもの>
1回目には、カメラは使用しませんが、持参できる方はお持ちください。
フィルムカメラの貸出(無料)をご希望される方は、遠慮なく申し出てください。
*これまでに撮った写真(モノクロ、カラー、サイズ等は一切問いませんので)を何枚か見せてください。デジタルで撮ったものでもかまいません。お持ちいただければ幸いです。

<申し込み先>
★正式な申し込みをいただいたあと、2Bの所在地や地図を添付にてお送りします。
 申し込みアドレス workshop2b10th@yahoo.co.jp  
「ワークショップ2B 58期申し込み」とご明記ください。