京都グラフィへ

朝 駅の立ち食いそば

昼 フルーツサンドとカツサンド

夜 水炊き

2泊3日で、京都グラフィへ。ずっと5月開催だったが、昨年から9月、10月になっている。仕事ではないのでカメラは「GR3X」。40ミリがちょうどいい。

いつも先斗町の「三福」という鴨川べりの小さな宿に泊まるのだが、夜の先斗町通りは、昨年同様、閑散としていた。

夜は「鳥彌三」という水炊きのお店へ。20年以上前に食べた時の味がずっと忘れられず、今回思い切って行ってみた。運良く川に張り出した「床」で食べることができた。ここの雰囲気がバリ島そっくり。ひさしぶりに外でご飯を食べることができた。

 

<2018年10月5日の日記から>

たこ焼きがおいしい季節になってきた

フィラデルフィアからやってきた便器を見に、上野まで行ってみた。「デュシャン ・人と作品」上野国立博物館。

「泉」というタイトルがつけられたこの便器は、写真でさんざん見ていたが、本物は初めて見た。便器は思ったより小さかった。

もともとの「オリジナル便器」は壊されたということで、現在残っているのはレプリカということになる。

なぜかというと、この便器はデュシャンが作ったわけではなく、当時普通に売られていた既製品だから。つまり「本物」と「レプリカ」に差異はない。デュシャンの認めた便器は、世界中で200個以上あるそうだ。

美術史をやると絶対出てくるのがこのデュシャンの便器。作品タイトルは「泉」。洒落てる。とにかくこの便器が美術の世界を根本的に変えたということになっている。

なので「本物」を見にいったわけだ。残念ながら「大ガラス」は東大駒場にあるレプリカだったが「車輪と椅子」や「階段を降りる女2」は本物がフィラデルフィア美術館から来ていた。初期の絵画がいい。テグスをキャンバスに貼り付けて描いた『チョコレート粉砕器』という作品がことのほか好み。

第一次世界大戦を挟んだ激動の時代にアーティストになり、どんどんスタイルを変えていって、ついにはアートをやめてチェスのプロになってしまう。多彩なというか多才というか、人生いそがしかっただろうな。

次の日は東京写真美術館2Fの「愛について アジアン・コンテンポラリー」を見てきた。

ここ10年くらい、コンテンポラリー(頭痛が痛いになってるな)写真のほとんどを占めているのがポートレートだ。今回も全ての作家がポートレート。個人的な問題を通して社会性を浮かび上がらせる。「私の話を私達が考える」という方法だと言える。それぞれの個人やコミュニティや国がかかえていることを写真にしている。

だから見て楽しいということはなく、テキストを読むことをきっかけに考えることを要求される。巨大なプリントを前にいつも居心地の悪さを感じる。

日本代表は須藤絢乃の「幻影 Gespenster」。彼女の初期代表作で、今年6月に六本木2121で展示されていたのも含め何度も見ているが、このシリーズは見ればみるほど面白くなる。今回はある仕掛けに気がついた。自分もやってみようと思っていたことだった。

3Fはコレクション展。地域、年代を超えたグループ展みたいで面白い(笑)。こちらは「考えるな感じよ」でいいようだ。見ているだけで楽しい。視覚的な欲求にこたえてくれる。

「たのしむ、まなぶ、夢のかけら」甘いタイトルがいい。

展示の中にユージン・スミス「カントリードクター」があった。写真が写真らしくふるまえた時代の写真だ。昔々、こんな写真が撮れたらいいなと思っていた。もう40年も前の話だ。