朝から上野のT3フォトフェスティバルへ。
T3は美術館やギャラリーで写真を展示しているのではなく、基本屋外。上野公園内のあちこちで写真を見ることができる。
鈴木理策の写真が噴水の水の中に沈んでいたり、米田知子の写真が古民家の奥座敷にそっと置いてある。。散歩にちょうど良い距離に展示物が続いていた。スタンプを3個集めると獺祭の小瓶までもらえる。
東京でもこういう写真フェスティバルができるようになったんだな。楽しかった。ゆくゆくはもっと大きな規模になって欲しいものだ。しかしそれがいかに大変な作業かということはよく知っている。
2015年に屋久島フォトフェスティバルに参加した際に、打ち合わせで写真の屋外で展示を提案した。誰でも見ることができればそれだけ写真に対する認知度も上がるし、何より多くの人が楽しむことができる。一般の人にとって室内展示は敷居が高い。
屋久島の古い写真を集め、それを複写しプリントしたものを海沿いの歩道の欄干にに貼り出すことにした。島の人は懐かしげに、観光客も楽しそうに写真を見ていた。
しかし雨に濡れ風が吹く場所での展示というのはメンテナンスに大きな労力がかかることが分かった。屋内だと一度展示してしまえばその後はよほどのことがない限り補修は必要ないが屋外となると毎日見回る必要がある。これが大変だった。風雨により一度貼り出したものを全て回収して作り直し再展示を余儀なくされた。
さらに屋外展示の目玉として、上田義彦氏の「M.River」の特別展示を計画していた。僕はそれらをを山の中でやることを強く勧めた。山で撮った写真を山に返すことをやってみたかった。
雨の多い屋久島の山の中での展示のため、当初屋久島でプリントするはずだったが耐水性を考え東京でプリントし、アルミで裏貼りしてもらい屋久島に送ることになった。準備は万端だったが、屋外展示の許可取は難航続きだった。林野庁、鹿児島県、屋久島町、現場とそれぞれにフェスティバル事務局が申請をするのだが簡単に許可は出ない。
結局上田さんの写真はたった1日だけだが山の中で展示ができた。それはそれは素晴らしいマッチングだった。写真を見ていた時たまたま出会った海外からやってきた旅行者が上田さんの写真にとても感動していたのが印象的だった。
現在のフォトフェスティバルは屋外展示が主流になってきているようだ。僕が2007年に参加したパリのケ・ブランリーのビエンナーレも屋外がメインだ。
実はビエンナーレ参加が決まった時、屋外での展示にはいささか抵抗があった。モノクロバライタプリントを続けていた僕は、いつの間にかプリントに一点ものの価値を求めていたのだ。
しかしそれは実際の展示をみるにいたり、ものの見事に粉砕されてしまった。思いもよらぬ展示方法に、複製可能であることの可能性を知ったのだ。
これは複製可能なメディアならではのものだ。作家はデータを送り、主催者はそれを大きく伸ばし、好きなところに展示することができる。輸送費は無し、管理も簡単、返送の必要もない。ゆえにオリジナルを扱う場合よりもコストを大きく抑えることができるし、屋外であることでたくさんの人に見てもらうことができる。プリントサイズも自由だ。
もともと絵画の始まりは壁画であり、そこに行かなければ見ることができないものだった。それが15世紀に入り板絵(タブロー)になると持ち運びが可能になってくる。
しかし絵画のオリジナルは一点のみであり、ルーブルにあるモナリザは他の場所で同時に見ることはできない。「イマココ」と呼ばれるアウラ性がある。
しかし写真は複製可能である。世界で最も高価な写真であるグルスキーの「ライン川」は同じものが6点存在する。その気になればMOMAが所有しているものと同一のものを手に入れることができる。これは絵画ではありえない。モナリザはルーブルにしか存在しない。
複製芸術である写真はデジタル化することでより広がりを見せている。その良い例が屋外でのフェスティバルにあるように思っている。
上野の屋外展示を見ていて妻と上田さんの写真の思い出話をしていた。するとちょうどギャラリー916で上田さんの森の写真展をやっていることがわかり、そのまま浜松町へ。
展示されていた屋久島の写真は懐かしく、また30歳の時に見て衝撃だったインディアンの森の写真は今でも新しさを感じる。
それにしても静かで良いスペースだ。椅子に座り、かつてこの場所が竹芝10番という写真スタジオだった時代を思い出していた。