激辛マーボ豆腐とキンピラゴボウ

先週から英語の個人レッスンを受けている。
教えてもらっている彼は、見た目は日本人だがインド生まれアメリカ育ちのマーケティングディレクター。

英語で大事なのは自分のことを説明できること、ということでまずはプロフィールの作成から始めた。つまり「Who are you?」と言われた場合の答えだ。

まずは自分の名前。年齢、出身地、学歴、職業など時系列で説明していく。それをより英語的な表現に直してもらう。

繰り返すと英語も勉強しつつ自分の略歴も英語で作り上げられるという仕組みだ。これはグラマーの勉強だな。

そのレッスンで受けたことを日曜日2Bで英語で話す。これは英会話の勉強。毎週来てくれる彼女は海外留学の経験があり耳がとてもいい。日本人が理解しづらい発音を教えてもらう。

まだ英語を勉強し始めて2か月。先の長さに目まいを感じつつ続けている最中。

アルルに行ったもの話を聞くと、全員の思考が出発前に比べ明らかに深くなっていて驚く。たった5日間の経験が人をこんなにも変えてしまうとはね。

その中で「日本特有」というべきスナップ写真?のありかたについて話し合った。

「欧米では」作品というものはは確固たるコンセプトのもとに作り上げられるべきもので、撮影前からストーリーやテーマがすでに決まっていることが多い。

自らの作品を説明しつつ、それがどのように社会に影響を与えるかを常に考え続けなければならない。「だからこの作品を発表するにいたった」と説明しなければならないのだ。

対して日本だけは、まず撮影ありきでコンセプトやまとめは後付けの場合が多い。それらは「世界的には認められない存在」であり作品制作であってはいけないこととされている。

でも本当にそうなのか。コンセプトがなくてもシャッターを押せば写真は写るぞ。撮ったものを再構築して作品を作ることはそんなにいけないことなのか?

今世界の写真はステージングされたものが多い。撮影者自らが舞台を作り、そこにあてはめるように写真を撮っていく。

そんな写真のどこが面白いんだ。近頃バリエーションが少なくないか。

ここ数年であまりにも一方向に傾いたコンセプト主義は大きく揺り戻す気がするのだ。