北海道から送ってもらったグリーンアスパラ

今日、17年ぶりに日刊スポーツへ行った。「旅するカメラ2」に使う、新聞社時代に撮った写真を借りるためだ。

編集者が同行してくれるはずだったが、仕事が抜けれず一人で行くことになってしまった。車で新聞社の前を通るだけで体が痺れてしまうのに… 昨夜から心配だった。

新富町で降りて築地へ歩く。数年間通った道だ。周りはあんまり変わっていなかった。社の隣には「女王ラーメン」がまだあった。編集部がある旧社屋も変わっていなかった。フォトサービスという新聞で使った写真を貸し出す係に行くと資料室に通される。昭和60年日航機墜落事故の写真を探す。

ベタ焼きのスクラップには懐かしい写真が並んでいた。当時このベタ焼きを貼っていたのは、一昨年急逝したスポーツライター岩田暁美だ。長島監督の横にいつも張り付いていたあの女性である。その頃はまだ写真部でアルバイトをしながらラジオ局の仕事をしていた。

そんなことを思い出しながら写真を探す。三浦和義の写真、神宮花火大会の写真の後に日航機墜落の写真はあった。

ヘタクソで見るに耐えないものばかりだ。もうちょっと何とかならんのかと思う。当時デスクはそんな気持ちで見ていただろうなと始めて気がついた。本当にヘタクソだ。でも、上手くなった今は、もう御巣鷹山に1日で2度も登れない。そんな体力があるわけがない。ヘタクソだったが体力はあったのだ。上手くなったかわりに失ったものも大きい。

縦横2枚の写真を選び、プリントをお願いした。暗室はもうすでになく、スキャナーで読み込んで出力するということだった。写真部に顔を出してみる。懐かしい顔を見つけた。もう昔の写真部ではなくコンピューターの林立する。デジタルルームだった。「これになってから劇的に変わったよ」とニコンD1Hを指差した。

次の撮影のため15分しかいることができなかった。でも会えてよかった。帰り際、昔暗室のあった場所に行ってみた。そこはもう会議室になっていた。

地下鉄の駅に戻ると放心状態になった。張り詰めていたものが切れた。「トラウマ」という言葉がよぎる。こういうことを言うんだろうなあと思えた。

もし、もしあのまま会社勤めを続けていたら… 歩むことのなかった違う人生を想像してみる。