今年は花粉症が辛い

昼=香菜軒のカレー/夜=鎌倉で買った鯵の押し寿司、さつま揚げ、カリフラワーサラダ、トロロの味噌汁

2時間近くかけて材木座海岸近くの『香菜軒』へ。8年前までは西武池袋線の富士見台にお店があったのでよく行っていたけど、鎌倉に移ってからは3度目。実家の家屋を利用して夫婦でやっている小さな店なのだが、店舗部分は全部手作り。間に合わせの材料で作っているから味がある。謎のエコストーブもあって、稼働するのに3年かけたそうだ。この店のカレーを食べると毎回「ちゃんと生きよう」って思う。食事ってすごいな。今回は前菜の盛り合わせがついたスペシャルコースで、豆とカツオのカレーを選んだ。まん丸に膨らんだプーリーが美味しいさを増大させる。

お店から10分程で材木座海岸に出られる。いい環境だよなあ。久しぶりにハッセルブラッドのX1D2を持ってきた。レンズはフィルム時代のハッセルの80ミリ。フレアが出るのに解像度は高く、気持ちのいい写りをする。マニュアルフォーカスになるし、電子シャッターを使うので色ういろ問題も多いけど、写ったものは最高。エモいw

『撮る力 見る力』は、おかげさまで発売直後から好評なようでAmazonのランキングも上がってきている。今回はKindle版もあるので自分でも買ってみた。夜寝る前に音声で聞いている。1ヶ月で一気に書き上げたから、改めて聞き直すと新鮮。つまり何書いたか全然覚えてなかったw 「へー、この人面白いこと書いてるなあ」と思えるので皆さんもどうぞ。そろそろソフトカバー版の在庫が切れそうなので、さあお早めにw

Amazon https://onl.sc/zuXmqLr

AmazonKindle https://www.amazon.co.jp/dp/B0BWXRY42G/ref=monarch_sidesheet

<2016年3月2日の日記から>

花粉症の季節。しかし、昨年導入した空気清浄機のおかげか今年はほぼ問題ない。もともと外では症状が出ず、家の中でだけ目が痒くなっていたのだが、マシン導入により目覚めたときのドンヨリ感は解消した。花粉症のない春っていいわ。久しぶりに雑誌の仕事があって、女優さんと映画監督を撮影した。外での撮影だから機材はほんのちょっと。EOS5D3にズームレンズと、α7に単焦点をつけたもの。それとクリップオンのストロボ。レフ板とかは使わない。今日はα7メインでいこうかなと思って編集者を立たせてテストしていたのだが、いざ本番が始まるとうまくいかない。日中の撮影だとEVファインダーが見づらいのだ。周りの明るさに引っ張られて露出が合っているんだか、外れているんだか不安になる。露出はマニュアルにしてあるからズレているわけがないのだが、あきらかに明るく見えるし細部がみずらい。寒い中薄着になっている女優さんの手前、撮影はスムーズに進めたい。数枚シャッターを切ったところでαはあきらめた。こういうときには一眼レフのEOSって安心感がある。普段は一眼レフは重いし今更な感じがしていたけれど、集中するような場面では慣れが優先する。仕事でミラーレス機に慣れるにはまだしばらく時間がかかりそうだ。不思議なことにプライベートなものを撮ろうとするときに一眼レフを使うことはありえない。α7にズミルックスが一番だと思っている。状況を選べない仕事の撮影と、撮りたいものを撮ればいいプライベートな撮影の差なんだろう。麻布での撮影だったので、帰りがけ六本木ヒルズに村上隆「五百羅漢図展」を見に行く。現代アートが文脈の上にのみ成り立つというのを、分かりやすく実践されている。創造性は個人の感覚が生み出したものではなく、過去のものを下敷きに変化変容したものという前提をはっきりさせていた。そして分かりやすさの否定。インタビュームービーを見ていると村上隆がどのように作られているか分かって面白い。同世代だったんだと改めて知った。巨大なもの=情報量の多いものを見続けるのは体力がいる。処理能力を超えたところに存在している感じ。腹が減っていたのもあって疲れた。ヘトヘト。大竹伸朗を見たときも同じように具合が悪くなった。彼らのアートは癒しなんかとは対極にありそうだ。

<2003年3月2日の日記から>

9歳になる娘には、小さい頃から「我が家は父親が写真を撮って生計を立てている」と教えてある。写真を撮って、その対価としてお金をいただくわけだから、カメラマンと言う職業はとってもわかりやすいものだと常々思っていた。ところが一般の人から見るとそうでもないようだ。ご近所や娘の父兄に職業を聞かれれば、当然「カメラマンです」と答える。するとほぼ8割の確率で「写真屋さんですか。どこのお店ですか?」と聞かれてしまう。「いえいえ、そうではなくて一人でやっています」と答えようものなら「エッ、おうちでやってるんですか。知らなかったなあ。七五三とか撮ってもらえるの」となる。仕方がないから「会社に属してはいなくて、フリーとして雑誌の写真を撮っているんですよ。おもに人物が多いです。あなたがご存知の雑誌なら週刊××で…」と噛んで含めるように説明したとしても「人物!ねっ、ヌード、ヌード撮ってるの!」と必ず色めき立たれる。なんで雑誌で人物だというとヌードになるのかなあ。「新聞社に勤めています」とか「雑誌社のカメラマンです」ならば分かりやすいのだろうが、フリーカメラマンというのは、どことなく胡散臭さがつきまとう。なにかいかがわしいことをしているんじゃないかと思われているふしがある。カメラマンとして社会的認知度があるのは篠山紀信やアラーキー。それに加納典明とくれば、いかがわしいと思われるのももっともな話しだ。職業を聞かれたら「カメラマンです」と答えると書いたが、確定申告の職業欄は「写真家」としてある。まあ、写真家と名乗れるのはこんな時くらいなもんだ。写真家橋口譲二氏は「自分はカメラマン」だと常々言っている。彼ほどの人がいうと「あえて写真家ではなくてカメラマンなのね」と大家の謙虚さを感じてしまう。そうそう、名刺には「Pphotographer」と刷ってある。僕だけではなく、ほぼ100パーセントの確率でカメラマンの名刺にはフォトグラフファーと書いてある。「Cameraman」はムービーのカメラマンを指すためだ。発音は「キャメラマン」とちょっと気取る。先日、「職業は?」との質問に「写真家です!」と鼻息荒く答えた。相手は婦警さん。駐車違反の取締りの時だ。なんで「写真家」などと答えたかといえば、「テメー、なめんなよ」と思ったからに違いない。31分でレッカーという理不尽さに少々興奮していたのだ。