風はまだ冷たいけど陽射しは春になってきた

朝=あんかけ肉うどん/夜=ヒレカツ、里芋のコロッケ、ピーマンと春雨のチャプチェ、Daidoカレー

あざみの市民ミュージアムに「潮田登久子展」を見に行った。最終日だったので結構賑わっていた。妻が潮田さんを発見「一緒に写真撮って貰えば」と言われてお願いした。あとで写真を確認したら顔がニヤけていた。

造本家の町口さんからいただいた森山大道の写真がパッケージに使われたレトルトカレーを食べてみた。白のポルチーニクリームソースと、黒のカレーが入っていて、白黒カレーが出来上がる。パッケージに注目が集まるけど、味も美味しかった。

2月いっぱいで仕事がひと段落する。オンラインの「美術史」「写真史」講座も6期が終わり、4月開催の7期までひと月の間がある。3月はあえて仕事をあまり入れないようにしたので、どこか行きたいのだが、まだ国内だろうな。暇ができるとカメラが欲しくなるというのは困りものだけど。ソニーの新型50ミリが気になる。

『撮る力 見る力』が自宅に送られてきた。これで12冊目の本になる。写真集が6冊、書籍が6冊。初めて本を出したのが2000年だから、ならすと年に1冊という計算になるわけか。

週末に石井朋彦さんに来てもらって「木村伊兵衛賞ノミネート2023」の動画を収録。すぐに編集してそのままアップした。こういうスピード感はYoutuneならではだ。人の手が入らないことのメリットもあるけど、精査された情報ではないという弱点もある。その辺りを認識しつつ続けていくしかない。この動画は視聴回数も多いが、ひとりが動画を見る時間もかなり長い。紹介したノミネート作家の写真集もAmazonから在庫がなくなっていた。写真集を楽しめる人が増えてくれるのが「2B Channel」をやっている一番の喜びだ。

<2022年2月27日の日記から>

学校で写真を教えている友人から「学生に何を教えればいいだろう?」といった相談をされた。そんなこと聞かれても困るのだが、仕方がないので「自分が学生時代はどうだった?」と聞いてみたら「学校行ってなかった」って。まあ今でもそんなものだろう。自分を振り返ってもサボることばかり考えていた気がするし。先生がそういうことを言うわけにもいかないだろうから「まず誰かの作品を完全コピーしてみるとか」と答えてみる。日本の教育は小さい頃から「オリジナリティ」を重視しているから、実際の作品制作の時に困ることが多い。自分の中から何か見つけようとするから「何も思い浮かばない」ってなる。いくら考えてもないものからは何も出てこない。だから一度完全コピーしてみる。一人の作家を調べて調べ尽くして、構図もシャッターチャンスも真似できることは全部真似て1シリーズを作ってみる。そしたら次に何をしようかなんて悩まなくてもアイディアは湯水のように湧いてくるはず。もしそれで出てこなかったら、それはそれで写真と相性が悪いってことで諦めもつくだろう。人の作品を借りて形を作って、それを壊す。昔からいろんな修行で言われていることなのに、なぜか日本の教育ではそれをさせずに「オリジナリティ」にこだわる。その結果、社会に出た時に呆然とする羽目になるわけだ。実際そうだったし(笑)。真似るって難しい。技術も必要だし、調査も必要。だから教育にはぴったりだよと伝えておいた。

 <2017年2月27日の日記から>

コーヒーの話。月曜日。今日は何も用事がない。ベッドの中でグズグズしていると階下で掃除機の音がして妻と娘が慌ただしくしている様子が聞こえてくる。バタンと玄関の扉が閉まる音がすると途端に静かになり、また寝入ってしまった。

寝ているのにも疲れたころ、猫が寝室に入ってきて大声で呼ぶ。布団をかぶって返事をしないと、ますます鳴き声が大きくなる。思わず「うるさい!」と怒鳴ると静かになった。布団をずらすと猫が真上から僕を見下ろしていた。どうやら生存確認のつもりのようだ。時計を見るとすでに11時を回っていた。下に降りて石油ストーブをつけ、簡単な朝食をとってから珈琲を淹れた。お湯はストーブの上にポットをかけてあるものを使う。カルディで買った200グラムで500円もしないリッチブレンドのフレンチローストの豆を電動ミルでひき、一杯分だけドリップした。NHKBSを見ながらベルギーで買ったチョコレートをふたつ食べる。甘いものはあまり好きではないが、珈琲とチョコレートの組み合わせは好きだ。つぶあんの和菓子もいい。昼過ぎに妻が戻ってきた。病院に父親の見舞いに行っていたようだ。透析レベルまで悪くなっていて食事制限が必要だと言う。昼食を食べている妻に珈琲を飲むかと聞いて、今度はニ杯分作った。豆の種類には無頓着だが、豆の量とお湯の温度だけは気をつけている。お湯は電気ポットで沸かすと美味しくないことが分かった。一番いいのは火鉢に鉄瓶。これで出すと驚くほどおいしくなるのだが、限りなく面倒くさい。なので妥協案としての石油ストーブなのだ。いつのまにか家事の中で珈琲を淹れるのは僕の仕事になっている。コーヒーに砂糖を入れずに飲むようになったのは高校生の頃だ。ちょっと背伸びして友達と行った喫茶店には、ラウンドしたカウンターにコーヒーサイフォンがずらりと並んでいて、一杯づつ淹れてくれる専門店だった。アイスコーヒーにいたっては水出しコーヒー(ダッチコーヒー)の装置が奥に鎮座していた。そこでコーヒーに砂糖を入れるのはちょっと恥ずかしく、我慢してストレートで飲むようになった。子どもだと思われたくない一心だったのだ。高校生の僕らにマスターは優しく、いつしか通い詰めるようになった。苦かった珈琲も慣れるにつれて美味しさがわかるようになってきた。高校を卒業する頃には、砂糖入りの珈琲は甘くて飲めなくなってしまっていた。東京に出てからは江古田が生活の場所となった。1980年の江古田は喫茶店密集率が日本一だと言われるほど町中に溢れていた。コンビニのない時代、喫茶店は間違いなく僕らの生活の一部で、誰しも行きつけと呼べるお店があり、ガロの「学生街の喫茶店」そのものだった。その頃のお店はタバコの煙がモウモウとしていた。それが普通の光景だった。セブンスターが180円、珈琲は260円、アルバイトの時給は450円だった。お金がないと食事とタバコ、どちらを優先するか真剣に考えた。好き嫌いではなく、タバコを吸うことは当たり前。そんな時代がかつてあったのだ。いつしかタバコは吸わなくなったが、珈琲だけは日に数杯習慣のように飲んでいる。考えてみればお酒を飲まない日があっても珈琲を飲まないという日はないな。これを書いているうちに目の前の珈琲はすっかり冷えてしまった。でも冷えた珈琲も、それはそれで結構おいしいものだ。