冬青との17年

2022年末をもって、冬青社及びギャラリー冬青は高橋国博さんが正式に代表を降りることになった。来年度からは野口奈央さんのもと新体制となる。

僕自身は、ギャラリー冬青が立ち上がった2005年からお世話になり、翌年2006年からは毎年のように個展を、そして海外のギャラリーの窓口になってもらった。写真集も4冊、冬青社から出してもらっている。いまさら言うまでもなく、僕がこうして写真で生きて行けているのは冬青社、つまり高橋さんのおかげだ。もしあの時、声をかけてもらわなかったら。人生は思い通りにいかないことばかりだけど、時たま思ってもいない幸運に恵まれる。

2005年、僕は「da.gasita」の写真展をやるために、当時新宿にあったコニカミノルタが運営するギャラリーの審査に応募した。自信があったにも関わらず、結果は落選。応募作品を引き取りに新宿に行った。たぶん人生の終わりのような顔をしていたはずだ。そこへ高橋さんから、「コニカミノルタに落選したことをブログで知りました。その作品を見せてもらえませんか」と電話があった。僕はすぐさま電車でギャラリー冬青のある中野まで行き、高橋さんにプリントを見てもらった。それから僕の人生は一変してしまった。実は高橋さんが僕のブログを見ていたわけではなく、スタッフの方がこの「写真生活」を見てくれていて、落選を高橋さんに伝えていたのだと後で知った。

最初に高橋さんに会ったのは、僕が44歳、高橋さんが60歳の時。あれから僕はずっと目の前を走っていた高橋さんの背中を見てきた。冬青から離れても引退というわけではなく、来年からも写真集制作や海外でもプロモーションは続けると言っている。そして僕は2023年4月、新冬青で写真展「da.gasita」をやることになった。あの落選プリントを展示します(笑)。最後に、高橋さんお疲れ様でした。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。僕をこの世界に引っ張り込んだのだから、責任とってこれからも仕事してください(笑)。