『da・da』受賞

朝=山かけうどん、半熟卵/夜=親子丼、シジミの味噌汁/夜食 チーズとクラッカー、ラフランス

写真集『da・da』が「ふるさとパンフレット」審査員特別賞を受賞しました。それを記念して郵送(無料)でお届けします。下記までお電話でお申し込みください。松本広域連合事務局(平日9:00~17:00)電話0263-87-5461

40年近く写真をやっていて、写真集を6冊も出しているのに写真の賞には縁がない。カメラマンとしては日経広告賞を何度か受賞しているけど、それはチームとしてで僕の手柄ではないし。写真賞を欲しいと思った時期もあるけど、最近はそうでもなくなっていた。今回の審査員特別賞は南伸坊さんが選んでくれた。僕としてはグランプリ狙いだったけど、担当者が喜んでくれているので、僕も嬉しい。担当者が違っていれば『da・da』は生まれていなかったいから。

まだ手にしていない方は是非とも電話してみてください。2冊届くので1冊は誰かにあげてください。そこで松本の話をしてもらえたら作った甲斐があります。

 

〈2021年11月24日の日記から〉

朝起きたら全身が重い。朝ご飯を食べてようやく体が動き出した。ルデコは3階の学生展が初日。休日ということもあって、結構人手があった。他の階も展示準備完了。いつもながら見事な展示。決して手前味噌じゃないと言い切れる。そして地下にはプロジェクターで壁一面に動画を投影している。何度やっても、どこでやっても展示は「浮かれる」。楽しいを通り越して浮かれるのだ。浮かれるためにやっていると言ってもいいくらい。過去日記を見て思い出したが、2003年の11月に突如前触れもなく両目とも眼底出し、一時視力がなくなってしまった、結局翌月に3度の手術をすることになった。あの時ペンタックス645Zを買おうとしたのはAFだったから。マニュアルフォーカスのカメラが使えなくなり、当時はアシスタントにピントを合わせてもらっていた。あれから20年近く経とうとしているが、毎日のようにあの時目が悪くならなければと思い続けている。42歳、仕事が一番面白い時期で、なんでもやれる気力と体力があった。でもあの時、目を悪くしなければ仕事が忙しくてワークショップも続けていなかっただろうし、冬青とも出会わず作家活動もしていなかったはず。今日ルデコで浮かれることもなかったことになる。人生色々、あの時の自分に「大丈夫、まあなんとかなる」と言ってやりたい。

〈2004年11月24日の日記から〉

月曜日から3日間米沢に帰っていた。23日まで山形県立美術館で「牛腸茂雄1946-1983」をやっていたので帰省がてら見に行った。東京でやっていた時はチケットを関係者から送ってもらって楽しみにしていたのだが、台風やら自分の写真展やら、なんだかんだで見逃してしまった。見に行った人は皆「よかった」と口をそろえるので山形会場最終日に間に合わせた。牛腸茂雄は媒体を雑誌や写真展ではなく写真集にもとめた。1回より2回、2回より3回と、見るたびに心に沁みてくる写真だ。でも今回オリジナルプリントを見るにいたり、その美しさにまいってしまった。牛腸茂雄が没後20年たって再評価され、もう一度プリントを見ることができる機会があったのは幸せだった。休日なのに人が少なかった。残念だがゆっくり見ることができてよかった。今年一番の写真展だったと思う。図録を購入。テキストもしっかりしていて、ベタ焼きもあった。1泊は母のところへ、もう1泊は駅前のホテルへ。今回中学時代に一番仲のよかった友人と25年ぶりに再会できた。大きく笑う友人の目じりに深い笑い皺ができた。それを見て彼の25年が見えたような気がした。43歳、大変だけど楽しくやっているよ、と言っているようだった。友人は酒を空けるたびに「今日は本当に幸せだ」と言った。僕もそのとおりだった。