借りてきた!

朝=チーズトースト/昼=玄米のトマトリゾット/夜=豚すき焼き丼

ルデコG展に向けての相談者が4人。相談というよりも久しぶりに顔を合わせての雑談っぽい。瞑想と写真とか、60年前のスライドから見る写真の物質性とか。ああだ、こうだと話が続く。

夕方に原宿のハッセルブラッドに向かう。新発売のXD2とレンズを2本借りることができた。夜の「美術史講座」1回目の配信が終わってから、箱を開けて1億画素のカメラを触ってみる。形はほとんど僕が持っている5000万画素のX2D2と変わらない。なのに、中身が違いすぎる。AFが早くて正確。手ぶれ補正も7段分。こうなればいいのにが全部解消されている。定価は120万円だが、マップカメラで108万円で出ていた。ライカM 11と同じ価格帯。意識したわけではないと言っていたけど、寄せてきた気がするね。新製品の55mmと38mmのレンズがいいんだこれが。しかし二つとも50万円オーバー。カメラとレンズで220万円。ライカM 11にアポズミクロンと同じか。新しいカメラを触ると嬉しいというか元気が出るというか。水曜日には返さなくてならないので、それまで楽しんでおこう。

 


<2021年9月12日の日記より>

今日は2BChannnelの収録をしようと「写真学生」ともう一人ゲストを用意していたのだが、彼の写真を見て話し込んでいるうちに、あっという間に時間がたってしまい収録はなし。「写真学生」の写真の何がいいのか、とりたてて褒めるポイントも見つからないこの写真に、なぜ魅力を感じるのかということを話していたのだが「何の役にも立たないところがいいのではないか」ということになった。「なぜあの部屋の住人がこんな透明な写真が撮れるのか?」。誰でも撮れるけど、誰も撮らないものを拾い集めている。もし時間に余裕があっても、こんな風に町を歩いて何でもない写真を撮れないと思う。もしかすると違う時間軸の中に生きてるんじゃないか、そう考えると片付けられない部屋も何となくわかるような気がしてくる。「成人は、社会人はこうあるべき」というものが脱落しているから、トレードオフであの透明さが出てくるんじゃないか。生きづらい人にだけ与えられたギフトみたいなものかもしれない。そんなことをグルグルと円環するように話す一日だった。夜は美術史講座1回目「ルネサンス」の再配信。

 

<2012年9月12日の日記から>

仕事やグループ展の準備でいっぱいいっぱいなのだが、今日は米沢に出かけた。1カットだけ雑誌見開きに使う写真を撮るだけの仕事なので日帰りでもできるのだが、編集部のお許しが出て一泊することにした。来たのは米沢から1時間ほどの飯豊(いいで)の村だ。泊まるのは「農家民宿」。いいかえれば普通の家。特別な部屋があるわけじゃなくて布団が敷いてあるのは仏壇の間。夕食は茶の間で、その家のご主人と差しでビールを飲む。いろいろ地元の話を聞けた。料理は旅館のそれではなくて、懐かしい米沢の味が並ぶ。友人がこの村の産業創生の仕事をしているので、連れてきてくれたのだ。村の真ん中にある小学校と中学校はもうじき廃校になる。これでますます高齢化が進むことになるだろう。この学校はとても立派な施設を持っている。体育館もある。廃校後に何かに使えないかと考えているところだそうだ。ここは絵に書いたような農村。宮崎アニメに出てきそうだ。人もいいし、食べ物も美味しい。思わず住みたくなるが、冬は3メートルを越す雪が積もる。今何かをやらないと村自体がなくなってしまう可能性すらあるという。人口は最盛時の3分の1以下、1000人にも満たないそうだ。旅館が一軒、農村民宿が10軒あって100名の観光客を受け入れることができる。体育館もグランドも施設もある。釣りができて山登りもできて、なによりのんびりできる。冬は台湾の人が雪見にやってくるそうだ。例えば「夏合宿一ヶ月で完全英語マスター 」とか、「高校生受験合宿」とか何かできそうな気がするのだが。風景写真を撮る人の間では、飯豊は有名なところだ。それだけ美しい場所ということだ。一度ツアーでも組んで来てみようかと思っている。