『世界劇場』

川田喜久治の展示「ロスカプリチョス」をPGIに見に行った。不思議なタイトルだなと思っていたら、それはスペインの画家ゴヤの版画集から影響を受けてのものだった。晩年の黒のシリーズもそうだが、ゴヤの版画も怖い。見てはいけないものを描いているのだけど、やっぱり見たいというか。「呪われた眼」を感じさせる。

川田さんの新作写真集を買おうとブックショップのほうに行ったら、1998年に私家版で作られた『世界劇場』が新品で置いてあった。中身を見てしまったらどうにも後にひけなくなって購入してしまった。値段はとても言えないw 中古ならもっと安く手に入るだろうが、ここで買わないと縁がないと思ってしまったのだ。僕が持っている写真集の中では特別なものになった。いまは「2BChannnel」で得た収益はすべて写真集につぎ込もうと決めている。出会ってしまった写真集は手に入れる。それを読み込んで紹介するのを続けていこうと思っている。

来週からは「2BChannnel」で写真家のインタビューが続く。ソニーα7Ⅳと55mmf1.81本でやってみようかな。

 


<2008年7月22日の日記から>

ワークショップでは不定期で写真家のビューイングを行っている。ここでいうビューイングとは作品を前に、作家自身に来ていただき、作品を説明してもらうことにある。
先月は平間至さん、先週は北井一夫さんにお願いした。

平間さんには今年5月、塩竈のフォトフェスティバルで初めてお会いした際にビューイングをお願いしていた。平間さんには田中泯「場踊り」のシリーズの大全紙作品を40点以上見せてもらえた。ライカで撮る理由やプリントの黒について、そして撮影のエピソードを作品を前に聞いていく。一見ただの黒に見えるイルフォードに焼かれたプリントのトーンは、しかるべきライティングの元で見ると何層にも折り重なっているのがわかる。普段「イルフォードの印画紙は黒が締まりづらい」などともっともらしいことを言っていたが、この作品を見て認識を新たにした。黒い、しかも深い。あらかた作品を見たところで撮影シーンをムービーにしたメイキングビデオを大型プロジェクターで見る。どのようなアプローチで田中泯に迫るのか興味深い。お互い無言のまま、普通の撮影のテンションとは明らかに違うであろうということが画面から伝わってくる。ご本人は撮影中のことをほとんど覚えていないそうだ。現像が上がって初めて知るカットばかりだったと言う。その後もう一度プリントを見直すと、もっともっと面白く見えてくる。ビューイングの楽しさはこういうところにある。ゆっくりと静かに語る平間氏の口調からは、どこからあのアグレッシブな写真が生まれてくるのか不思議な感じだった。青い炎という言葉を思い出した。

一方、北井さんのビューイングはあの静謐な写真からこれまた想像もできないようなテンポの良い口調だった。しばしば脱線しながら2時間半ずっと話は続く。ビューイングというよりトークショーのようだった。北井さんは「歩く昭和写真史」だと常々思っている。30年前、僕が写真を始めた高校生のころ北井さんは第1回木村伊平衛賞を受賞したばかりの大スターだったのだ。始めて手に入れたライカは出版社の経費で買ったものだと教えてくれた。凄い時代だ。北井さんは20歳の時に日芸在学中でありながら自費で写真集を出している。『抵抗』と題された学生運動を撮った写真は、ネガに派手な傷が入り、フィルムの劣化によるムラがあったり、ザラザラのハードトーンで何が写っているのかさえ分からないものがある。
やってはいけないとされた見本のような写真ばかりだ。当時はまったく無視されたというが、森山大道より数年前に「アレ、ブレ、ボケ」を形にしていたのだ。そして40年後そのシリーズはいま海外で大注目を浴び、大きな話が具体的な形になるようだ。そして『抵抗』から『三里塚』とつながり『村へ』。そして今回冬青で展示している「ドイツ表現派」へと繋がる。系列で見て、話を聞いていくと、なぜそうなったか腑に落ちてくる。ビューイングの面白さのひとつに時系列での作品鑑賞がある。その作品の生まれた前後を見ることで理解できることが多い。これは大がかりな回顧展以外、普通の写真展にはないことだ。しかもご本人の説明付き。疑問に思ったことはその場で質問できる。『ロッキングオン』の渋谷陽一氏は「100回の飲みより一度のインタビュー」と言っているがビューイングはそれに近い行為かもしれない。