トイカメラ

朝=炊き込みご飯の出汁かけ/昼=「モンスーンカフェ」でガパオライス/夜=トマト胡瓜チーズのサラダ、そら豆とウィンナー炒め、燻製牡蠣の玄米パスタ

水曜日の2B Channelライブのネタ作りもあって東京都写真美術館へ。3階「写真発祥地の原風景 幕末明治のはこだて」 、2階「TOPコレクション 光のメディア」 、地下「本城直季」をやっている。あまり期待していなかった3階の展示が面白かった。ちょうどアニメで見ていた『ゴールデンカムイ』の時代で、アイヌの写真もあった。思わず劇中に出てくる旭川第七師団の写真がないか探してしまった。最初の方に土方歳三のポートレートがあった。これはちょっと前に見た映画『燃えよ剣』の中で写真撮影のエピソードが出てくる。そのとき、土方は「ホトガラヒを撮ってもらう」と言っている。まだ写真という言葉が定着する前だ。まだ感材の感度が低いため、感光しやすいように顔を白粉で真っ白に塗っているシーンが出てくる。当時はすでに銀板写真ではなく、湿板写真で鶏卵紙にプリントしているものばかりだった。そのネガがものすごく良いトーンが出ている。焼いてみたくなる。コレクション展と本城直季展のことも含めて13日水曜日の夜に配信しようと思っている。

美術館のブックショップで何か写真集を買おうと物色していたら妻が「これを買う!」と、二眼レフの型をしたすごくちっちゃい掌サイズのトイカメラを差し出した。液晶画面はなく、本当におもちゃのような見た目。でもデジカメとして使える他に、動画も撮れるし音声のみの収録も可能とパッケージに書いてある。5000円ほどだったが、面白そうなので、写真集の代わりに購入。家に戻って試してみたら、これがけっこう暗いところでもちゃんと映った。首から下げる用のストラップ付きだし、おもちゃだからとても軽い(笑)。なので妻はこれを旅行用のカメラにするそうだ。いいかもしれない。

 

<2010年4月13日の日記から>

ワークショップ内で恒例となっているのが写真家を招いての「ビューイング」。ここでいうビューイングとは作家に来てもらいオリジナルプリントを初期のものから現在のものまで見せてもらい、その場で作品の背景説明をしてもらうというイベントだ。今回は白岡順さんにお願いすることができた。白岡さんはニューヨーク、パリに30年近く住み、国際的な作家のひとりである。2000年に帰国後東京造形大学の教授をつとめ、現在は市谷で貸し暗室とワークショップの「カロタイプ」を開いている。白岡さんがパリにいた時代はまだネットがない時代で、日本ではどうもパリに白岡順という作家がいるらしい、という話は聞くのだけどが作品がどういったものかは分からなかった。
当時『デジャブ』という写真雑誌があり、その特集で初めて白岡さんの作品を見た。濃いモノクロームのトーンで闇が光を侵食するような印象だった。その後、横浜のギャラリーパストレイズに写真展を見に行った。小四つ切に焼かれた小さなプリントは、写っているものの意味を嘲うかのような深いトーンだった。
2004年、アサヒカメラ主催のワークショップがあり、講師のひとりに白岡さんの名前があがっていたので即参加を決めた。1年間12人の写真家が交代で講師を勤めるスタイルで、これは毎月毎月とても楽しみだった。12人がそれぞれてんでバラバラなことを言って帰る。写真の見方もアプローチも12人いれば12通りあることが分かった。白岡さんの顔は知らなかった。プロフィール写真は目が釣り上がった厳しいものだから勝手に線の細い人を想像していた。果たして、初めて見る生白岡順はサンタクロースのような風貌と体躯だった。そう見えたのは時期が12月の末だったからかもしれないが(笑)そのとき白岡さんは、初期のものから現在のものまで作品を並べて見せてくれた。衝撃はかなりのもので、その後の僕のプリントの考え方に相当の影響を及ぼした。白岡さんがパリにいた頃、そのプリントの影響力で「白岡がパリの写真を黒くした」と言われていたというのがよく分かる。この写真家の作品を時系列で見ていく体験を通して、作家がどう変化していき、どう変わらないかを見ることができた。これが、2Bワークショップでビューイングを始めるきっかけになった。今回、白岡さんの写真を再び見ることで、前回と違った印象が生まれたら面白い。