「すべて光」

朝 サーモンと菜の花の玄米パスタ

おやつ たこ焼き

夜 手羽先と野菜のスパイス焼き、ヒジキの玄米炒飯に豆カレー、

渋谷ヒカリエで1月2日から始まっている熊谷直子写真展「すべて光」を見に行く。熊谷さんは「2BChannel」にも出ていただいていて、気になる作家のひとり。作品だけではなくコマーシャルな仕事もしているが、いつもコンパクトカメラとフィルムを使って撮っている。今回もそうだった。ライブ配信で紹介しようと思っているが、新年早々ボディブローというか、違うな、きれいなパンチを受けた気分。じっくり見ていられない「ポートレートのエネルギー」がある。写真集購入。

街はごったがえしていて、寄り道する気がおきない。新宿でAirpodsの修理を受け取り、中野の「フジヤカメラ」へ。年末に購入したが不良品で返品してしまったモニターレコダーを買おうと思ったのだが品切れ。ならばとソニーのワイヤレスマイクを買おうと思ったがこれも品切れ。ソニー製品は軒並み品切れだそうだ。3日にアップした「写真学生ファッションを撮る」の撮影では、シグマfplに35ミリを使ったが、被写体を追いかけるのは大変だった。一眼タイプよりもレンズ一体型のビデオカメラのほうが使いやすいんじゃないか、いやむしろ携帯のほうが良いような気がしてくる。ソニーの「iphone13」とか「XperiaPro1」とかいいよな。結局何も買わずにすんでほっとしているのもある。

<2018年1月4日の日記から>

冬青のこと

明日5日からギャラリー冬青で写真展「2Bとマンデリン」。最初の冬青での展示が2006年の2月だった。以来12年で9回目。写真集も4冊出してもらった。ここ数年は毎年1月に個展をやらせてもらっている。新年早々に展示ができるなんて、本当に恵まれている。ギャラリー冬青の大きな特徴はモノクロ、しかも銀塩プリントの展示が多いことだろう。作家年齢は40代から50代が中心。土田ヒロミ、須田一政、北井一夫、渡邊博とビッグネームも多い。「TOSEI」写真集のクオリティはもはや世界的で、あの「シュタイデル」からもコンタクトがあったそうだ。冬青の高橋社長との最初の出会いは2005年になる。それまで一般書を出す出版社だった冬青が、写真集専門に特化するという記事を写真雑誌で読んだ。写真集を出したくて奔走していた僕はすぐさま連絡して会いにいった。しかし売り込みは失敗。モノクロ中心でいこうとしている冬青に持っていったのはカラー作品。他にも当時撮っていた米沢のプリントも見せたが、あくまで作りたいのはカラーだと主張した。「モノクロ写真集を作る気はないか?」と言われても「その気はない」。そりゃうまくいくわけがない。冬青とは縁がないと思っていた。ところが冬青でやっていた北井さんの写真展のことを何度か日記に書いたり2Bで話したりすることで、それまで新規参入のギャラリーで客足に悩んでいた冬青に多くの人が訪れるようになったとスタッフから感謝のメールがあった。そこには「いつも日記を拝見しています」ともあった。しばらくして、2年間撮りためた「da.gasita」の原型を展示したくてコニカミノルタに応募した。自信満々だったのだが見事に落選してしまう。そのことを日記に書いた。「普通はそういうことは書かないものですよ」とたしなめられたが、いいことばかり書いてるのでは日記とは言えない。悪いことがあったらそれも正直に書こうと思っていた。落選したプリントを引き取りに新宿にあったコニカミノルタにいき、帰り道駅に向かって歩いていると電話がなった。「冬青の高橋です。日記で落選したことを知りました。以前見せてもらったものですよね。来年2月にうちでやりませんか」というものだった。その連絡を受け新宿から中野のギャラリーにプリントをもっていき、展示が決まったのだった。コマーシャルギャラリーで展示ができるなんて想像もしていなかった。2月は寒いからギャラリーを閉めようか迷っていたそうだ。今では2年後のスケジュールまでいっぱいだが、当時は作家を集めるのも大変だったのだろう。そこへ日記を読んだスタッフが進言してくれたのだ。コニカミノルタに落選した「da.gasita」は、その後写真集になり、海外で展示をしたり美術館にコレクションされたりしている。あの時、もしコニカミノルタでやれていたら、いや落選したことを恥ずかしがって日記に書かなかったとしたら。おそらく冬青との繋がりはなかっただろう。そうすると僕の人生は明らかに違ったものになっていたことだろう。不運だと思っていたことが大きな幸運につながった。そう思うと縁とは不思議なものだな。