懐かしさに隠されているもの

朝 大根おろしうどん

おやつ シュークリーム

夜  野菜とカツオのソテー、ジャガイモとアボガドの和物、キャベツサラダ、寝かせ玄米ご飯のワンプレート

 

以前「ノスタルジー」についてずっと調べていた頃があって、その時に「戦後の数学者、岡潔の『春宵十話』というエッセイ集がいいよ」と教えてもらった。

読んでみると難しいのだが、確かに面白い部分がある。特に「真理に触れたときに人は懐かしいと感じる」と言う部分だ。「あ、これわかる気がする」と思えた。

確かに初めてあったのに「懐かしさ」を覚える人もいるし、カメラでもそうだ。新しいのにずっと使っているような気がすることがある。

 

岡潔という人は天才的な数学者でありながら「情緒」という言葉を何度も使うのも不思議だった。

そして彼は、美は眼前にあるとも言っていて「言葉で美を言い表すことはできないが、美を前にすると誰もが気づく」と書いている。そしてそこには懐かしさが伴うとも。

 

これはiPadのメモ帳に書き留めてあったものを「岡潔」で検索して見つけたものだ。

なぜそんなことをひっくり返して見ているかというと、学生と森山大道について話している時に「そういえば」と思い出したのだ。

現在公開されている森山大道のドキュメンタリー映画のタイトルは「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」だ。これは彼の著書からきているもので、その言葉に岡潔の言葉が重なってくるのだ。

 

「真理や美は懐かしい」というのは、言葉で「分かる」というのとは違っていて「腑に落ちる」というのがしっくりする。脳じゃなくて腹というか腸で感じるもの。最近では腸でも感情を感じていることがわかっている。

言葉で説明することが難しい部分を「懐かしい」という言葉に置き換えているんじゃないだろうか。

 

もうかれこれ8年も「ノーモアノスタルジー」を引っ張ってるな(笑)