いつだって才能のあるやつはいるよね

朝 豆入りトマトリゾット

おやつ 茹でとうもろこし

夜 鯉の旨煮、茗荷とキュウリとジャコの和物、チャーシューサラダ、大根おろし蕎麦

 

今日は学生がふたりやってきたので、最近学校(日芸)でどんなことをやっているのかを尋ねてみた。

ひとりは「今日授業があって、課題は『見上げる・見下ろす』でした。私はその課題のことすっかり忘れていて、慌てて今朝になって住んでいるマンションの屋上から撮ったものを出したんです」

確かに「見下ろす」を写真にしようとパッと思いつくのはそんなものだろう。

「誰か面白いの撮った人いた?」と聞いてみると「ひとり、やっぱり課題を忘れていて朝大急ぎで作ったのがいて」

「彼はグーグルアースを使って自分の住んでいる家を指定して宇宙からズームインさせて、そこから自分頭が写るように上からカメラをセットして、視線を頭からグーグルアースが写っているパソコンへ移動させる動画を作ってきたんです。で、最後は音楽とともに地球がグルグル回る映像が流れて。みんな大爆笑だったんですけど、やられたなあって感じです」

 

まず課題に動画で提出するという発想。動画でもいいと言われていても「自分は写真学科」という勝手な縛りをつけてしまうものだ。そして自分の撮ったもの以外の素材を使うという柔軟さ。これも「作品は自分で撮ったもの」という思い込みからなかなか抜けることはできないものだ。

 

やっぱりいつの時代にも、才能ある学生っているもんだなあ。僕が学生の頃もそんなやつが隣に座っていて、彼のプリントを見るたびに「何をどうするとこんなプリントができるんだ」と思っていた。嫉妬もおきないほどの圧倒的な実力差。

そして「どうやっているの?」と聞いても、返ってくるのはいつも「え? 普通にプリントしてるだけ」。その普通が分かったのは卒業して10年以上たった35歳の頃だった。

 

僕が身につけた技術力は、今の学生よりはあるだろうけど、発想力はかなわないな。嫉妬もできないほどの差がある。でも今はそれを楽しむことができるようになったのだけは、年の功と言っていいんだろう。