暗室番長フランスへ

2Bにはアシスタントじゃなくて、暗室番長という勇ましい呼び名のついた小柄な女性のSがいる。

Sは6年くらい前にワークショップに参加した後に2Bのあるビルに住むことになった。というか僕がそそのかした。

「ここに住むと暗室をいつでも使っていいよ」

その頃Sはあるカメラマンのアシスタントをしていてプロになることを目指していた。カラープリントがいつでもできて、撮影機材がなんでも使えるのは彼女にとって便利だったし、僕も荷物の受け取りや暗室の管理をおねがいできるのはありがたかった。

お互いの利害が一致して彼女は暗室番長となった。そういえば誰が暗室番長と言い出したんだろう?たしかにぴったりな愛称だった。

2Bのとなりに住むようになると、翌年彼女はワークショップのグループ展で作った作品をまとめてニコンサロンに応募して、東京と大阪で展示することができた。

アシスタントから一本立ちしてフリーカメラマンとなり、料理と人物を専門とした。パリやアルルでのグループ展や屋久島フォトフェスティバルの招待作家にもなった。フランスには多くの知り合いができて、中には超有名な写真家もいる。

彼女のスキルと人脈は同じ年齢の時の僕と比べると段違いに高いし、運もいい。おそらく同じ時期に生きていたら嫉妬してることだろう。

2Bのあるビルがなくなってしまうという状況に、Sが選んだのはフランスへの移住だった。1年間働きながら住むことができる、とても倍率が高いビザの申請を、フランスに住んでいた人の手助けもあって見事手にいれた。

うらやましくて目がくらむ。

彼女は50歳になったときにこう言えるのだ「パリもすっかり変わっちゃって、変わらないのはこのお店の味だけね」って。

僕は若い頃海外に住まなかったことに大きく後悔している。なんで行かなかったんだろう。でもその時はいろいろ言い訳を考えて「だから行けないんだ」と自分で納得していた気がする。

さてビザは取れてもどこに住むかは大きな問題だ。フランスは家賃も物価も高い。手持ちのお金には限りがある。でも彼女が「フランスに住む」と決めて、そのことを周りに話すと「僕の母のところに住みなよ」という人がすぐにあらわれた。

運がいい。でもこの運は偶然転がりこんだわけではないし、生まれつきのものでもないだろう。運がいいというのは自分が足りてない部分に、それを埋めてくれる人があらわれること。だから人見知りだと運が良くなるのはかなり難しい。

昨夜送別会があった。暗室でせわになった人たちがたくさん集まって海外移住を祝ってくれた。

そりゃ運も良くなるわけだ。そしてそれは6年間彼女が積み上げたものだ。

フランスでは楽しいことだけじゃないだろうが、おおむねはうまくいく。

なぜなら彼女は運がいいからだ。