写真展を毎年やっているのだけれど、3年前くらいから「今回のわかんないです」と言われることがある。
昨日も「渡部さんの写真は安心してみていられない。ちょっと緊張する」と言われてしまった。緊張させるつもりは無いのだが、どうやら「da.gasita」的世界を期待されているところがあるみたいだ。
「da.gasita」と言えばモノクロで正方形でグラデーションがあるプリント。ところが近頃はどんどん素っ気なくなってきている。「渡部らしい」感じからは離れてきていることは承知しているんだけどね。
今年で57歳、身体がずっとそのままでいられないように、考え方や感じ方もまた同じというわけにはいかない。だから写真も変わってきて当然でしょ。「自分らしさ」などということはまったく考えていない。
「この間言ってたことと違うじゃないですかあ」
「そんな昔のことなんて覚えてない」
昔から言うことがコロコロ変わることで有名(笑)
近頃とみに「目的をしっかりもって」という考え方から積極的に離れようと思っている。なんとなくではなく、積極的にグズグズ。じゃないとすぐにかっちり考えてしまうから。自分らしさなんて中心に置かない、適当で曖昧。
あたらしく始めるワークショップHも同じように中心をおかず、小さい構造のものをたくさんやろうと思っている。
キーワードは「ごっこ遊び」本格的じゃなく、遊びがある構造。何かを中心に据えず、並列的に置く。小さいからうまくいかなかったらやめればいいし、うまくいったら形を少しづつ変えて続けていく。失敗できる可能性を残すことができるのは精神的にいいんじゃないかと思う。
次のワークショップは「ごっこ遊び」だと会う人ごとに説明している。「ごっこ」なら誰でも参加できるし、教えることもできるはず。「喫茶店ごっこ」「英会話ごっこ」「ウクレレごっこ」
もともと2Bも「ワークショップごっこ」からスタートしているようなものだ。やっているうちに形ができてきた。ちょっとそれが固まりかけていたので、解体して再びゆるく構築し直すのがHということになる。
そういえば昔遊ぶときは「◯◯したいの、この指とーまれ」って掛け声があったよなあ。誰でもよくて、何人でもいい。遊びのルールはその場その場で決めていく。小さい子もちゃんと仲間にいれてあげる。
あれって本質をついてる気がするんだよな。