カラーの自動現像機から大量の液漏れ有りと連絡が。

毎日新刊を出版すべく原稿を書いてる。『旅するカメラ2017』といところか。

毎日2本から3本をノルマびしてようやく20本になった。文字数にして5万字くらい。これでようやく人に見せられる分量になったかな。同時にネタもつきてきた。

『旅するカメラ』という写真とカメラのコラムを集めた文庫本をエイ出版から2003年、2004年、2007年、2011年と出している。今年は2017年だから、出版サイクルは1年3年、4年、6年となる。今年出すとすると次回作は2025年くらいになる計算だ(笑)

書くのは特に辛くない。おそらく日記を書き続けて習慣化しているところがあるからだろう。最初の写真集を出すまで文章を書いたことなどなかった。文章は作家とかライターとか特別な訓練を受けた人が各物だと思っていたから。webがその敷居を低くしてくれたのは間違いない。写真もまたそうだ。もはや特別なものではなく、日常となっている。

北海道の東川から飯塚達央さんが2Bに来てくれた。イベントで東京に来ていたようだ。会うのは何年ぶりだろう。このまえ会ったのはCP+の打ち上げだった気がする。僕は飯塚さんのことを「地方の星」と言ったことがあったが、彼の活躍は東京以外で活動する多くの写真家の励みになっていると思う。

彼ももうすぐ50歳になるそうだ。最初にあったときは38歳くらいだったか。最初に飯塚さんを知ったのは2005年くらいに友人からブログを紹介されたからで、当時彼は、はやり始めたブログ界隈で有名人だった。まだSNSではなく、ブログ全盛の時代だ。

彼から写真家の風間健介さんが亡くなったという話を聞いた。風間さんは夕張の産業遺産を撮って写真集を出版し、大きな賞をたくさん取っている。飯塚さんが住む東川町の国際フォトフェスティバルにも関わりがあったはずだ。

風間さんが写真集『夕張』で賞を受賞したのが2005年で、その後すぐに東京の吉祥寺に住み始めた。井の頭公園でプリントを売って生活しているということがブログを通じて伝わり、僕も当時よく見ていた。

そのことは2B内でも話題となり、ある日曜日の午後に井の頭公園に行ってみたことがある。その時の日記が残っている。あれからずっと気にはなっていた。風間さんは僕と同い年だった。

ご冥福をお祈りします。

井の頭公園の休日


井の頭公園で写真を売って生計を立てている写真家がいるという話は以前から聞いていた。その作家は昨年度日本写真協会新人賞と写真の会賞をダブル受賞しているという。

国内作家のオリジナルプリント相場というものがあるとすれば3万から20万円というところだろうか。決して安いものではない。1枚の写真を購入するとなるとある程度の決心が必要となる。

ところが井の頭公園で売っている値段と言うのが1枚「1000円」なのだ。1万円ではない、千円だ。その作家の名前は風間健介という。http://www2.ocn.ne.jp/%7Ekazama/index.html

夕張の炭鉱を撮った写真集は知っていた。骨太ながっしりした写真を撮る人だという印象を持った。

写真賞を受賞しているのにかかわらず1枚1000円で写真を販売して生計を立てている不思議さに、前々から井の頭公園に行ってみたかったのが今日実現した。

休日の公園はお天気がいいのもあって驚くほどの人出だった。公園入口の焼き鳥伊勢屋は長蛇の列。昔は閑散としていたものだったのに。

8名ほど連れ立って風間さんを探しに、伊勢屋を背にして池を左回りに歩いていった。道沿いにはフリーマーケットさながら色んな物を売っていたり、ところどころで演奏をしている。結構楽しい気分だ。



ふと横を見るとシートを広げて写真を並べている人がいた。風間さんだ。思わず通り過ぎてしまうところだった



挨拶もそこそこ写真を物色する。RCペーパーで焼かれたものの中にはバライタ印画紙のものもある。思わず「ここにあるもの全部千円なんですか?」と聞いてしまった。並べてあるものもケースに入れてあるものもRCバライタ問わずモノクロは全部1000円。カラーは2000円だった。

炭鉱のバライタプリントを2枚、海が写っているものを2枚選んで購入した。4枚買っても4000円だ。

一緒に行った人たちもそれぞれ好きな写真を選んで買っていた。風間さんに聞いたら一日5枚ほど売れるということだった。ただしニコンキヤノンをぶら下げているおじさんは見向きもしないという。なんとなくわかるような気がする。

1時間ほど色んな話を伺った。でも記憶に残ったのは写真の話ではなくて「焼酎を1日1リットル飲む。身体のためを考えてウコンで割っている。毎日5時間飲む。昔は一ヶ月出一升瓶20本焼酎を飲んでいた」という武勇伝。なんだか昔ながらの作家のようで格好がいいではないか。今年46歳というから僕と同年代だ

風間さんは北海道の夕張に20年近く住んでいた。数年前北海道に行った知り合いは風間さんの自宅ギャラリーを訪れている。

風間さんの家の窓にはガラスがなくビニールがヒラヒラと貼られていたそうだ。冬でもそのまま。夕張の冬はマイナス20度になるはず。自分のことを「体が弱い」と言っている風間さんだが、そんな部屋に住めるのなら十分丈夫なような気がするが…焼酎を飲む理由も寒さ対策だったのだろうな。

伝説になるであろう井の頭写真販売を堪能し、帰り道「狼の毛で作った筆」を買い、吉祥寺駅前のハモニカ横町で飲んで帰った。かなり充実した休日である。