冬青は月曜日がお休みなのだが、どうしても見たかったので無理やり高橋社長に電話してギャラリーを開けてもらった。
濱田トモミ写真展「変生」
ギャラリー冬青
5月6日(土)―5月27日(土)
11:00―19:00 日・月は休廊
前週に同名の写真集を送ってもらっていて、それを見たらすぐにもプリントが見たくなってしまった。写っているのはトタン壁の一部。状況を説明するカットは一切なし。ただひたすら壁。
これが戦後アメリカ抽象絵画そのものなのだ。対象を切り離し、意味合いをなくす。そこに残るのはトタンが錆びて作る色合いだけ。カラーネガから丁寧にプリントされている。そして写真集においてもその微妙な色合いが再現されている。海外のブックフェアでも人気が出るのではと思う。
展示ではパッチワークのように色が並ぶプリントに一目惚れしてしまった。
トタンは、鉄板の表面にうすい亜鉛の膜をはったもの。トタンはすぐに錆びる。ただしそれは表面の亜鉛層が先に錆びることで内面の鉄を酸化しないように保護しているのだそうだ。
表面は刻々と変化する。しかし内面は変わらないのがトタン。
濱田さんは12年前、僕のワークショップに札幌から毎週参加してくれていた。北海道から通うということに驚いた。まるでバスのように飛行機を使っている行動力だ。
彼女はワークショップ後にニコンサロンでの展示を始め毎年のように展示を重ね、写真集「INSOMNIA」も2015年に冬青社から出版している。
今では北海道の写真家として名を知られるようになったが、初めから今のような才能があったかというとそうではなかったと思う。むしろその反対だっただろう。
今でも覚えているが、ワークショップグループ展の準備で持ってきたプリントはお世辞にも褒めるところがひとつもなかった。
「これモノクロプリントじゃないよ。白と黒とグレーの三つしか情報がない。ほらこれも、これも全部白黒グレーの三つだけ。モノクロやめてカラーやってみれば」。
今思えば随分ひどいことを言っていたものだ。そういうわけでグループ展をカラープリントで作ると、翌年四ツ谷三丁目のギャラリー「ルーニィ」でもカラープリントで初個展をすることになった。そうして濱田さんと言えばカラープリントの人という僕の思い込みが数年続いたのだった。
それでも彼女は知らぬ間に少しづつ、少しづつモノクロプリントを積み重ねて、ついに銀座ニコンサロンで展示をし、モノクロ写真集「INSOMNIA 」まで作ってしまった。これには「濱田さんにはカラーが合っている」と思い込んでいた僕はl心底驚いてしまった。僕に見る目が全くなかったということだ。
濱田さんの展示は初期からずっと見ている。そしていつも思うのは「いつのまに」。そう、知らぬ間に変わっていくのだ。だから毎回展示を見ては驚いてしまう。
「変生」とはうまいタイトルをつけたものだ。変わりながら生きていく。でもトタンのように芯は変わらないということか。
Facebookに徒然草の現代語訳がのっていた。なんだか濱田さんそのものように思えた。
徒然草を現代語訳した文章より
これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。
どんな世界でも同じである。