サンタフェ「ノーモアノスタルジー」から3年。
http://d.hatena.ne.jp/satorw/20130621/1371784886
日本でも写真を取り巻く状況は急変し、これまでの捉え方では理解するのが難しくなってきているように思う。そこで「アートの文脈ってなんだ? 2016年に僕が気づいたこと」をまとめてみた。
断っておきますが、僕は研究者ではなく、実際に身に起こったことを解明するために調べていった結果、独自の解釈を得た。ということで覚え書きとして読んでいただければ幸いです。
「あなたの作品コンテクストはなんですか?」
おそらく海外のポートフォリオレビューを受けた人ならかならずといっていいほど聞かれた質問なはずだ。
コンテクスト?
最初は何を聞かれているのか意味を理解できなかった。日本でそんなことをいう写真関係者に会ったことはなかったからだ。コンテクストの意味をネットで調べてみるとコンピューター用語が出てきた。
"指向のプログラミングにおける、現在処理中の状態や環境のこと。コンテキストとも呼ばれる。イベント駆動型プログラミングでは、ユーザーがマウスボタンをクリックした場合に、状況や環境を判断して、処理を行う"
さっぱり意味をなさないな。
調べていくとアート批評でコンテクストは文脈と訳され、意味は「前後関係」のことになるようだと分かってきた。
この場合の前後関係とは作品内での関係性ばかりではなく、むしろ歴史(芸術史)での立ち位置を指している。むろん歴史とは西洋史のことで、作品が歴史の系譜の中で、どの位置を占めているかを聞かれていることになる。
脈とは流れ。脈は歴史的に見ると複数の本流と支流が浮かび上がってくる。流れだから、前を受けて次に繋げていくもの。歴史を知らないと文脈を説明できないことになる。
なぜそんなことを聞くのだろうか?
現在写真は確実に現代アートの一部とみなされるようになった。写真が写真の世界でのみで語られる時代は終わったのだ。
ということは現代アートを知らずに現代の写真を語るのは無理になってきた。これは僕のような現代アート教育を受けずに写真をやっているもにとって、今まさに直面している大きな問題となっている。
僕はずっと長い間、暗室でモノクロプリントを作ってきた。だから知らず知らずのうちに「写真家とは暗室の中で魔法をかけて素晴らしいものを作る特別な存在」と思い込んでいたところがあった。
神様が手を動かすと、こぼれ落ちるように作品が生まれる。作家とは物質に命を与える神。神の作ったものが作品、というイメージだ。
ところがこの考え方は根本的に間違っていた。いや、近代までは芸術家は神様のような特別な存在だと思われていた。ところが現代では否定される事態になる。
近代と現代ではどう変化したのだろうか?
近代と現代の切り替えポイントには諸説あるが、第二次世界大戦以前が近代、以後が現代と見るのが一般的なようだ。アーティストで言うとピカソ以前、ピカソ以後だ。
パリにはたくさんの美術館がある。有名どころではルーブル、オルセー、ポンピドー。実はこれらの美術館は時代で分けられている。
ルーブルは古典美術。ギリシャ、ローマ時代の彫刻から始まり、ルネサンス、バロック、ロココ。
オルセーは近代美術。19世紀新古典主義あたりから印象派、ゴッホとゴーギャン、そしてピカソまで。
ポンピドーは現代美術。ピカソから始まり現在までを扱っている。
ピカソがパリで活動していた時期は第一次、第二次世界大戦と重なっている。
1914年から始まる第一次世界大戦でヨーロッパ再編が起きる。帝政や王政が消滅し、新しい(激動の)時代がやってくる。ヨーロッパの形が変わったのだ。国の形が変われば当然人々の考え方も変わる。
戦争はすべてを疲弊させ、ギリシャ時代から人間の基盤として考えられてきた「理性」が崩壊したと感じるようになる(これはとても大きな変化なのだが、日本人には分かりづらい)。
ニヒリズム(虚無主義)が流行し、ダダイズム、シュールレアリズムが時代を席巻する。
フロイトとユングは深層心理と潜在意識の存在を明らかにし、人間の意思と主体の在り方を根本的に変化させる。その思想が美術に大きな影響を与えた。100年前、ヨーロッパは、それまでの数百年と大きく変化し、確かなものの存在を感じることが難しくなった。
人間の意思、主体、理性を大事にしてきた結果として戦争が生まれたのなら、そんなものいらない。そう考えるのは自然の流れであり、ダダイズムはそこから生まれている。
1917年、デュシャンが既製品の小便器をそのまま使った「泉」という作品を発表するにいたり、とうとうアーティストは神様ではなくなってしまった。アーティストとは考えや概念を「提示」する存在であり、作品は手からこぼれ落ちるものという考えが否定されるようになる。近代美術崩壊の序章であり、現代アートの芽生えだ。
第一次世界大戦以降、絵画は対象物を描くことを拒否し、抽象表現に雪崩を打って変わる。抽象以外は芸術ではないとさえ言われる時代へと移り変わっていくのだ。
抽象絵画は時代の構造そのものだ。
100年前、アートは根底から変化した。当時の哲学思想の影響によって個人の感情や美意識は不要と見なされ徹底的に排除されることにになる。
かくして芸術家は神様ではなくなり、内容ではなく、形式を重視されるようになる。現在をどのようなスタイルで表現するかであり、それは当然時代とともに変化する。つまり普遍の美を追求することはなくなったのだ。
現在の構造がどうなっているかを知るには現代思想が不可欠になる。ニーチェやフロイトの存在が近代美術からの脱却を促したように、現代美術にはソシュールやレヴィ=ストロースと言った言語学者人類学者がもたらした「構造主義」が大きな影響を与えている。そして現在はポスト構造主義。それすらも終焉を迎えている時代、アートは評論家ダントーの言う 多元主義の時代になっている。
大事なのは構造(スタイル)。松岡正剛がスーザンソンダクを語る文の冒頭にこうのべている。
「内容と様式をくらべれば、主題と形式をくらべれば、様式や形式のほうがずっと重要であることなど、わかりきっている。それなのに、文学批評や芸術批評や文化批評の大半は様式や形式、すなわちスタイルというものを語るスタイルをもってこなかった。」
すべてはどのようにスタイルを持つかであり、そのスタイルは文脈の中でしか説明しえないということだと個人的には理解している。
「あなたの文脈はなんですか?」という質問は歴史、哲学の知識を持って制作しているかということを探るには便利な問いだ。
僕は「prana」を海外で提示する場合、日本には西洋と違う文脈があることを歴史と文化、個人的な経験をもとに説明している。
日本人作家の多くが日本固有の神話をステートメントに取り入れているのは日本独自の文脈の説明の方便だとも言える。
まさかこの歳で美術史や哲学をやるはめになるとは夢にも思っていなかった。しかし今後も写真を続けるには不可欠だと思える。
ダントーはアンディウォーホールを例に挙げ「芸術は哲学に吸収された。 芸術がこの向うに進む限り、その答えは哲学の側から生じなくてはならない。 芸術は哲学へ加わることで終焉した」とすでに30年も前に語っているのだ。