毎日のギャラリー通い、緊張しっぱなし。
もう12回も個展をやっていて、やることといえばただ座ってるだけなのになぜ緊張しているのかといえば、ギャラリーに来てくれる人が誰だかすぐにはわからない、これがプレッシャーになっている。
実は僕は軽度の相貌失認、俗に言う失顔症なのだ。なのでぱっと見ただけでは、よく知っている人か、以前あったことのある人か、初めてのひとなのかの区別がつかない。
だからとんちんかんな挨拶をしてしまうことが多い。人によっては失礼な奴だと思われかねないと思うから緊張するのだ。
かといって忘れているわけではなく、声を聞くとほぼ思い出せる。なのでどうやって第一声を出させるかと考える。
相貌失認はブラッドピットが告白したことで一般認知されたところがある。有名人が言ってくれることで、同じ症状の人はかなり助けられる。「ブラッドピットと同じなんだよね」と言えてしまうのだ。
彼は重度の相貌失認のようで30年来つきあっているプロデューサーすら認識できないらしい。人付き合いが悪いというのもそこからきているという。
僕はそこまで深刻ではなく一般生活に不自由はないし、特徴ある風貌はすぐわかるし、20回くらいあえばほぼ大丈夫、かな、、、
しかし、髪型を変えたり着ているものがいつもと違ったりすると、おや?となる。
まずCMに出てくる女優はほぼ分からない。娘に「この子誰?」といつも聞いている。それでこのCMの女優は石原さとみだとわかっても、他のCMに出てくるとわからない。
今でも大島優子と前田敦子の区別はかなりあやしい。綾瀬はるかはこの頃分かった。
不思議なもので、娘は人の顔と名前を一致させるのが特技にちかいものを持っている。一度会っただけの人の名前と顔をほぼ覚えている。遺伝しなくてよかった。
ギャラリーでは人のいない時間に本を読んでいる。今は東田直樹『跳びはねる思考』-会話のできない自閉症の僕が考えていること-を読んでいる。
この本を読むまでダウン症と自閉症の違いがわかっていなかった。ダウン症は染色体の問題と原因がはっきりしているが、自閉症とは症状であり、いまだに解明されていないところが多いのだそうだ。
自閉症とは、人と円滑なコミュニケーションを取れないという症状がある脳機能障害で、中には人とは話せないが東田さんのように文章は書けるという人がいる。近年はそれによって彼らが何を考えているのか初めて分かった部分も多いという。
この本を読んでいると整然とした思考で考えられていることが分かる。これほどの文章を書ける人は珍しい。自分の行動について完全に理解はしているが、それを行動に置き換えることができない。考えていないわけではなく、行動からはそれを人に伝えることができないということだ。
読み進めていくうちに、彼の行動や思考が小学生の頃の僕と似ている部分が多くあることを見つけることができた。
落ち着きがない、団体行動ができない、こだわりが多い、ボーっとしている。これらは僕が子供の頃にいつも言われていたことだ。
家出を繰り返す、出て行ったら戻ってこない、どこまでも歩いていく。絵を描きましょうと言われるとある一部分だけ詳細に描いてしまい、全体がバラバラ。一人遊びが多い。文字が覚えられない。
その時はボーっとしていると言われていたのだが、何も考えていないわけではなく、頭の中はフル回転して目の前のものだけを捉えているのだ。
昆虫にはまったら、図鑑を丸々一冊丸暗記してしまうし、虫をずっと見ていても飽きることはない。
小学校に入ってからも勉強や行動についていけず、低学年から高学年になるまでは「養護学級」と呼ばれていた特別クラスに振り分けられていた。
クラスは20人弱で、教室は一般校舎からプールを挟んで反対側の人目につかない場所にあった。平屋の大きな小屋のようなところが校舎で、周りは花壇や畑や動物小屋があった。
そこでは一般のカリキュラムとは違った授業が行われ、かなり自由な学校生活を送ることができた。本人は毎日が楽しかったが、両親は相当心配したようだ。
ある日公園のブランコの前で母親が「あなたは明日から養護学級にはいるのよ」と悲しそうな、心配そうな顔で僕に言ったのを覚えている。
養護学級は本人としては天国のようなところで、つまらなかった学校が毎日楽しくて楽しくて。その分5年生になって一般クラスに戻されたときはかなり辛かったのを覚えている。
一生懸命な先生だったのだが、いつも「ほっといてくれないかなあ」と思っていた。
中学生になった頃から団体生活にも慣れいわゆる普通になれてきた。こだわりが減っていくたびに生活はしやすくなる。しかしその分つまらなくなるのも事実。
でもずっと写真にこだわっているのは小さい頃からの性格なのかなと思ったり。
ひとりでギャラリーにいるいうのも考えるのに結構貴重な時間何だな。