「あなたはなぜ写真をやっているのですか?」

今週火曜日まで銀座ニコンサロンで写真展「ネパリ」をやっていた小川さんが個展会場での様子を日々Facebookにあげていて、それを読むのが毎日楽しみとなっていた。

小川さんの3月コニカミノルタでの展示の時は「前ボケ論争」がおこり、今回は「シャドー部分の階調再現」に端を発し「なぜ写真をやっているのか」ということまで話は広がっていた。

それにしてもメーカー系ギャラリーには色々な人がやって来るものだ。大御所写真家から評論家、雑誌の編集者、自説の正しさを訴える写真好きの人。作者のまったく知らぬ人が見にきてそれぞの感想を述べて去っていく。そもそも見に来ている人も作者のことを知らないことが多い。会場にいると毎日数百人の人と会うことになる。

展示している立場からすれば99パーセントの好評よりも1パーセントの酷評が気になるものだ。たった一言を長い間ずっと引きずることになる。

自分の興味がない作品と判断すると入ってきてすぐに踵を返すように会場を出て行ってしまう人もいる。「こんなの写真じゃない!」と怒り出す人だっている。

人の趣味はそれぞれと頭ではわかっていてもグサッとくる。

誰にでも分かるようなものは存在しないし、そんなものを目指す気はない。でも、できることなら、ちょとでもいいから、分からなくてもいいから、受け止めて欲しいというのが本音。


「あなたはなぜ写真をやっているのですか?」

この質問に僕はどう答えようか。

よくアーティストと呼ばれる人は「たくさんの人に勇気や感動を」 と言う。僕は今までそんなこと思ったこともない。表現していなければ死んでしまうというような情動が突き動かしているわけでもない。でも僕は20年間ずっと「誰にも頼まれていない」写真を出し続けている。

なんでお金をかけて写真展をやるのか。一度展示をすれば数十万円単位でお金が出て行く。たとえメーカー系のギャラリーでやったとしても額装費や展示準備にかなりのお金がかかる。

僕が今まで展示や出版にかけた費用はおそらく数百万円。ここ数年は企画展示をやってもらえるようになって、ようやくお金がかからなくなったが、それでも今までで、ベンツくらい余裕で買えるお金を使ってきた。今回のサンタフェだって準備も含めて40万円くらいかかるだろう。

でもベンツより魅力的だから続けている。

なんでそこまでして展示や出版をするのか自分でも不思議に思うことがある。展示をしたところでビジネスチャンスが生まれるなんてことはほとんどない。お金と時間をかけてやった個展が終わった時の憔悴感といったら、、、

本音を言えば僕の行動理由の大半を占めているのは誰かに認めてもらいたいという欲求なんだと思う。もっと分かりやすく言えば「褒めてほしい」のだ。

誰でも小学校を卒業するくらいまでは褒めてもらえる機会が多いはずだ。それが突然競争を強いられ、勤勉で立派であることを求められる。段々誰も褒めてくれなくなる。親も先生も周りの大人も「しっかりしろ」と繰り返す。勉強かスポーツで秀でていなければ自分を肯定できることは少ない。

好きで始めた写真が高校生のときに全国紙の写真コンテストで2位になった。自分の写真を認めてもらえたことが、そのまま自分を認めてもらえたことのように感じた。

存在理由が見つかった気持ちだった。それまでは「なれたらいいけど無理」と自分の気持ちを抑えていたのに、認めてもらえたことでふっきれた。写真で生きていこうとその時に決めたんだと思う。

写真なら褒めてもらえるかもしれない。

それからずっと写真を撮っては展示をして本を作ってきた。たくさんの人に見てもらいたいと思うし、褒めてもらいたい。日本で褒めてくれなければ海外までだって持っていく。


「旅するカメラ3」の後書きにこう書いた。2007年、アルルの写真フェスティバルに行く直前のことだ。


"この本に合わせて、2冊目の写真集「traverse」が出版される。それを持って「アルルフォトフェスティバル」に行くつもりだ。7月のアルルには世界中から写真好きが集まってくる。お互いの写真を見せ合ったり、キュレーターが写真を見てくれる場所もある。海外進出を目論んでいるわけではないが、なんだか楽しそうではないか。アルルで評価をされたいわけじゃない。作ったばかりの写真集を持っていき、色んな国の人に「見て見て」と言いたいだけのだ。

 バスの終点がどこにあるのかは、誰にも分からない。でもどこかに向かってるのは間違いない。「旅するカメラ4」があるかどうかは分からない。でもまた何かの形で写真を発表し続ける。そしてやっぱりこういうのだ。

「新しい写真できたよ。見て見て」"



2013年は「da.gasita」を持ってサンタフェに行ってくる。