連休は母の納骨のために米沢へ。
妹家族と我が家の身内だけの納骨はあっという間に済んで、お墓参りを済ませると皆で上杉神社のお祭りに出かけた。
この時期の米沢は本当に美しい。町中に桜が咲いて、神社の周りには埋め尽くすように屋台が出て浮かれた気持ちになる。
雪で覆い尽くされる長い冬が終わり、ようやくやってきた春には格別の思いがある。
20歳の甥と、19歳の娘、17歳になった姪がじゃれ合うように歩いている。
それを見ていたら年月の過ぎる速さを感じてしまった。父と母が亡くなり順番からいったら次は自分番なんだなと。
52歳でそう思うのは早いと言われるかもしないが、確実に折り返しは過ぎている。
田中長徳『銘機礼賛』の一節に人生を時計の針になぞらえる話が出てくる。40歳を過ぎた当時の長徳さんが「20歳を正午とするなら自分の時間はすでに薄暮である」と言うものだ。
この本を読んで以来自分の時間を考えるようになった。始めて読んだ時僕は30歳だった。時計の針は午後2時くらいだったことになる。正午はすでに過ぎたが、まだ日は強く差し込んでいた。
今の自分は薄暮はとうに過ぎ、日はすでに沈んでいることになる。別に抗う気持ちはないし悲しいことでもない。すべての人にやってくる時間だ。
それに宵の口は好きな時間だ。これから一杯飲りに行きたくなる、どこかソワソワしてくる時間でもある。
夜は妹家族と我が家で最高級の米沢牛を食べに行った。食べ盛りの3人に「好きなものを好きなだけ食べていい」と言ったら本当にすごい量を平らげた。ついに若いものが食べるのを見て目を細める歳になってしまった(笑)
母が亡くならかったらこうやって集まることもなかっただろう。甥も娘もしばらくしたら働き始めるだろうし姪も進学のために米沢を出てしまう。もうこうやって集まって食事をすることも難しくなる。皆で食べる米沢牛はことのほかおいしかった。
この日の夕食は、人生の中で1、2をあらそうほど幸せな食事だった。