きゅうりと山芋のサラダ、筑前煮、ギョウザ。

日曜日の午後、僕は暗室番としていつも2Bにいる。暗室利用者が「ペーパーがプロセッサーににつまった」とか「水洗の水があふれた」とか色々あるのだ。

先週は「エアコンが効きません」と悲痛な訴えがあったが、結局「今週は我慢して」と蒸し風呂状態の中、作業を続けてもらった。

エアコンは暗室を借りたときに設置したもので、既に16年目。よく頑張ったほうだ。しかたがないので昨日新しいエアコンを発注。散財だ。

暗室番をしていると、ふらりと何人かが2Bを訪ねてくる。来るのにアポイントなど不要だ。来たいときにくればいい。

次回のグループ展へ向けての相談だったり、特に用もないが新しいカメラやレンズを買ったからと、お店の帰りに手に入れた物を箱のまま持ってきたり、最近は被災地へコンパクトデジカメを送る支援を手つだっているので、使っていないデジカメを持参してくれたりとさまざまだ。

そのなかでも多いのが、今やっている作品を見せに来る人たちだ。僕のワークショップではグループ展が終わると、次のアドバンスコースは用意されていない。写真を続けようと思ったらそれぞれが自分の道を探さなくてはならない。

なぜ上級コースがないかといえば簡単な話で、僕自身がまだ分かっていないからだ。

いったいどうやって作品を作って発表していくのがいいかを、いまだに悩み考えている。一時的に「これだ」と思っても、すぐにまた別の考えが出てくる。

だから実際問題、相談されても分からないことだらけなのだ。

既にワークショップを終えた後も写真を続けている中で、個展、写真集出版、国内外のギャラリーとの契約、海外のフェスティバルへの参加、海外での個展、大きな賞の受賞と自分の経験を超えた活躍をするものが増えてきた。

それでもやはり彼らも不安なのだ。誰もが「これが正しい」と胸を張って生きているわけではない。他人の評価に一喜一憂している。中には「海外では評価されるのに、なぜ日本だとダメなんでしょう」というものもある。

相談されたら少ない経験の中から「おそらくこうだろう」としか言えない。僕にできるk戸と言えば写真を見ることだけ。

大テーブルに並べられた写真を二人で見ていく。僕は彼らの写真を初期から見ている唯一の観客だ。彼らがどうように悩み、考えてきてるのかは理解できる。

「今はこう見えるよ」。それを伝えるのが日曜日の僕の仕事になる。