水戸芸術館の石元 泰博と近代美術館の鈴木清、

今回の石元さんの展示作品の多くはすでに別の場所で見たものが多かったが、全シリーズを一度に見たのは初めてだった。

初期代表作「シカゴシカゴ」は、学生時代に教科書のように扱われていた。

あらためてオリジナルプリントを見て気がついたのは、最終地点をプリントによる展示ではなくて、グラフ誌に載せるための構成ではないかと思えたことだ。縦構図のものはグラフィカルというかデザイン的な要素が多分に含まれている。1枚1枚が独立しても成立するのだ。

これは「桂離宮」のシリーズにも同じことが言える。それが「刻」あたりから変わり始め、東京をエイトバイテンで撮るシリーズから全体をひとつとして捉えようとする印象が生まれている。

個人的には「刻」がよかった。石元さんの写真はまさに撮るというより「刻む」写真なのだ。それと新鮮だったのは初期のカラーコラージュ。スチルライフからスナップ、35mmからロクロク、エイトバイテンまでフォーマットもモチーフも幅広い。石元さんは80歳になる今も現役写真家として活躍されている。全身写真家のような存在だ。

鈴木清の近美での展示は開催前からtwitter上で盛り上がっていた。亡くなってから10年がたつ。その間省みられることがなかった存在だったのでTL上の反応に驚いた。

やはり10年前閉鎖した「mole」というギャラリー兼書店で彼の写真集全9冊がセットで売っていた。買おう買おうと思っているうちにmoleはなくなり手に入れるチャンスを失ってしまった。

直接話をする機会はないままだったが、作品は見ていた。近美での展示を改めて見て、その成立のしかたがたくさんのものから影響されてできているのではないかと思えてきた。図録を買い忘れてしまったのでもう一度行ってみようかと思っている。漠然としたものが何であるかを確かめたい。

一部変色したプリントや破れたプリントがあったが、それがものすごくよかった。物質だということが一番現れるのが劣化じゃないかと思う。

ロクロクのベタを切り張りした16枚の写真の集合体は汚れの美しさの極みみたいなもので、激しく所有欲を沸かせるものだった。それは「日本カメラ」11月号の表紙にもなっている。

田中長徳氏がブラックペイントライカの塗装の剥げ具合に心奪われると著書で書いているが同じこと。僕は写真もまた物質として見る。感じるのはイメージではないのだ。