お土産は米沢牛肉弁当を3種類。

月曜日から米沢に帰っていた。雪の多い時の米沢を撮るためだ。米沢のシリーズは、これまでずっと35ミリで撮っていたが今回はローライを持っていった。フィルムはトライXを20本。

2月の第2週に「雪灯篭祭り」があるのでそれに合わせて帰るつもりだったが風邪で延びてしまった。雪の最盛期は過ぎていたがそれでも多い。毎日のように降っている。道路の両脇はまるで壁のようになっている。

米沢の中心からちょっと離れた小国という町に泊まった。駅前に商人宿がぽつりとあった。後はなにもない。

飲み屋に入っても誰もいない。店の主が小国のことを問わず語りに話してくれた。冬は雪深く、夏は靄がかかり、空から工場が発見しづらい立地のため戦争中は軍の秘密工場があって栄えたこと。

戦後民間になった工場が経済成長とともに大きくなり、店も今の倍の広さがあったが人が入りきれないほどだったこと。皆汽車の時間まで立ち飲み、座るスペースなどない。通りには人があふれ、町中には何軒も旅館があったという。

それが車の発達に合わせるように町が寂れていく。もう物資を汽車で運ぶ時代ではなくなった。工場の規模は段々小さくなり人が少なくなる。だいたい車がひとり1台の今は誰も飲んでいかないね、と笑う。

おでん6品と煮込みと焼き鳥6本とビール、「お勘定」と言うと「2000円もらっておきます」と返ってきた。

翌日は汽車を乗りついで遠回りして米沢へ。車中どこかで見た風景だと思ったら「スィングガールズ」だった。

米沢を歩いた後小野川温泉へ。前から気になっていた宿へ飛び込みで交渉。宿泊客は僕だけだった。司馬遼太郎藤沢周平がその宿をモデルに文章を書いている。

毎日晴れたと思ったら突然雪が降りだす。フィルムを19本撮ったところで東京に帰ることにした。1本フィルムを残しておくのは新聞社時代の教えだ。